熊野比丘尼の勧進  観心十界曼荼羅と俚謡と双六

母と叔母の様子を見てつくづく人の「記憶」の危うさというものを感じます。

また同時に介護の現場というものがいかに一筋縄ではいかぬものと納得させられるところです。

私などはその人の記憶の脆さを理由とするどうしようもない苛立ちを無意味であることはわかっていても時として大きい声を出すなどして言い聞かせようと無駄な努力していますが、身内でもなんでもない人が仕事としてその介護を多数の人と関わって遂げようとすることに精神的に病んでくることも「ありうる」と感じます。

 

そのように人の記憶が怪しいのは、悪どいことをやらかした人や政治屋さんが常套句として「記憶にありません」と語る以外は全く当たり前のことと思われます。彼らの記憶は自己保全の見え見えの言いぐさでよりタチが悪いですが、母のそれとは性質が違います。

年齢を重ねて徐々にそれが覚束なくなっていくのは人間という生き物の生理的現象です。

特に「老いの坂」を転げるように下っている最中の私は母や叔母の「記憶違い」について苦笑している場合ではありませんね。

 

さて、昨日は以前記した「河原者」についてご意見をいただきました。あらためてそれ開きなおしてみて、「そういうことを記したものか」と記憶を辿ったところでした。

被差別者の歴史起源についてのコメントでしたが、その返信をしている際、そういえばこういう人たちも「河原者」と同起源かも・・・と思った次第です。

 

それは先般記した「熊野観心十界曼荼羅」を諸国行脚して勧進する熊野比丘尼です。

遊行の僧の女性版で、起源は古くて特に室町初期から、戦国期にかけて活動していたようです。多様な呼び方があり、勧進比丘尼や「絵解」をしますので彼女らは「絵解比丘尼」とも。①②画像。

 

「絵解き」は御軸など、時間的経緯が描かれた絵画等を物語りする解説者のことですが、当流の「絵解き」といえば報恩講で掛けられる「親鸞聖人御絵伝」が有名ですね。

私が地獄絵の絵解きなら比較的「ラク」と思い、ゆくゆくは「やってみたい」と思うのは御開祖絵伝は四幅あり、かつストーリー性が高く、なかなか難しいのに対して一幅ものの地獄絵の方でしたら「なんとか・・・」と思っているからです。

 

また「浄土双六」という今風でいう「ゲーム盤」とサイコロを持ち歩き、その遊びから浄土極楽の尊さを流布していたといいます。サイコロは勿論六面。ただしそれは数字ではなく「南無阿弥陀仏」の如くの字が記されていて、出た目の動作は状況によって各ルールが設定されていたようです。

スタートは人間界、アガリは勿論浄土です。画像⑤。

 

彼女らは「俚謡」(りよう)-さとうた-というローカルな歌謡を伴って街道筋に立つなどドサ回り的芸人のハシリでもあったようです。当然に物乞いなどもして喰いつないでいたために「いやしき身」と評価されていたそうです(差別の発端)。

仕舞には熊野勧進よりも芸能と売春(売比丘尼)の職種として堕ちて行ったと。

 

民衆に浄土を進め、苦労して行脚した挙句、自身が地獄に堕ちるが如く、身を滅ぼしていくというのも皮肉。そして徐々に宗教色が取れていったのでしょう。

内容は知りませんが「熊野比丘尼 おりん物語」なる映画が以前制作されていました。

 

④画像の落下の姿はお決まりのスタイルで名前もあります。

「頭下足上」(ずかそくじょう)。

阿鼻地獄に真っ逆さまに墜落するときのポーズ。同様に別ルートでやってきた「火車」と合流しそう・・・の図です。

 

画像は小栗栖健治著「地獄絵の世界」より。