私の禁断症状  青い海青い空  そして墓と城

子供のころからハリウッド系のギャング映画や刑事ものなどのアクション映画ばかり見ていたせいで、薬物-ヘロイン・コカイン-の名を聞き親しみ、映画の中それらをめぐる、「まともじゃない連中」のいざこざや、「ヤク」とか「売人」などの言葉を覚えたものです。しかしこれらはあくまでも映画の中のことですね。

 

まさかこんなにも身近に、芸能人やスポーツ選手の間など現実世界で流行しているとは、驚きです。

ハリウッド映画の中ではそれに手を出す輩はまず破滅の道を歩むことになるのが常道で、大抵は「本当のワル」というものはそれを商売道具にしても絶対に自分は手を出さないというクールさがあったものです。

ースカーフェイスの主人公(アル・パシーノ)はコカインのやりすぎで破滅していましたが・・・ー

 

欧米ミュージシャンの「薬」に関わる事がらはスキャンダルにならないくらいに日常茶飯事でしたので、枚挙にいとまがありませんね。ただしこれもまずは常習的になると死するかそれに等しい破滅的な道を歩んだものでした。

 

そもそもそれらの入手に関して、欧米ほどは日本の事情は安易ではないものなのですが、なぜにそれほどの難関な入手経路とリスクを顧みずに手を出すのか疑問ではあります。

これは日本の芸能人もスポーツ選手もきっと「増長して何でもできる」風の感覚でその世界に憧れているだけー欧米のやんちゃなセレブはみんなやっているのでその気分ーが如くの軽微な気持ち以外何物でもないでしょうね。

 

要は「身の程知らず」でしょう。

薬の常習性は周知のことで禁断症状が現れる1週間~10日おきにブツを仕入れなくてはなりません。カネに糸目はつけられなくなってしまいます。

お金がいくらあっても足りないので私の如く貧乏人にはそのお遊びはできませんね。

おカネの無い人がそれにハマれば犯罪に身を染めてもそれを得ようとして破滅するのも同様です。

 

私の見てきた映画の中での常習化した人たちは殆ど廃人の如く落ちぶれる姿を見せています。私などアレを見続けていましたので興味本位でもそれに手を出そうという気にはなりませんでした。

 

私は以前は海で遊ぶことが多かったのですが、ハワイのビーチや人が賑わう場所ではコカイン売りが声をかけてきますし、沖縄にいればマリファナを吸うというのもステータスのようで知り合いでそのお遊びに染まる人も散見しました(もちろん皆、私には内緒にするという傾向がありましたが・・・必ず「やめなさい」といいますので)。

まっとうに生きていればそんなものは不要ですね。

まぁ私は喫煙習慣がもとからありませんので・・・興味すら湧きませんでした。

 

禁断症状について触れましたが、これはアルコールや単なるたばこ喫煙であっても出現しますね。特に薬物中毒の禁断症状の場合、常習性があればあるほど相当のキツい症状の発現があるといいます。

幻覚が現れて、まさに地獄の苦しみと聞きますね。

その苦しみは自業自得で致し方ないのですが、一旦中毒となった人はその地獄の禁断症状を通過して治癒に向かったとしても再びその快楽の世界に舞い戻ってしまうというのも教科書通りです。

 

この「常習性」「病的人格形成」「禁断症状の地獄の苦痛」「突然死の恐怖」「金銭的コスト増」「違法行為による反社会性と罰則の重み」についてもっともっと子供たちに伝えていくべきと思います。

 

各国ではタバコのパッケージにタバコが起因する病気、害である脳卒中、心筋梗塞、肺気腫になる確率が上がる等の「警告表示」の記載を義務付けていますがWHOは「もっとデカく書きなさい」と指導していますね。

薬物依存症と喫煙習慣はリンクしているように思います。

小中学校の段階で喫煙・飲酒・薬物に対する学習時間を厚くしていただきたいものです。

 

最近の私はどこかしら古い墳墓を見て回らないでいると、イライラ感がつのってきます。

特に「青い空」がそれを誘っているように感じます。

「青い海」は今のところなんとか自分を騙しながら我慢していますが、こと墓や有名でない城・砦と聞けばいてもたってもいられなくなって時間を作ってひょいと向かってしまいます。

これが私の常習性、イライラ感はきっと禁断症状だったのです。ただし幻覚を見たり吐き気をもよおすという中毒性はないようです・・・

 

先日、立春の晴れた日に浜松浜北区の山を散策しましたが、その帰り道フラッと寄ったのが・・・やはり墓地。

このあたりを走っていて、長い間生かせていただいて、まずはその辺に掲示されている文字くらいは読めるものと思っていましたがこの字は「何?」という字が目に飛び込んできました。

お恥ずかしいながら「麁玉中学校」です。「麁玉-あらたま」でした。その読みでしたら父が小田原の「新玉小学校」にいましたし、聞き覚えはありますが、こちら「麁玉」は「粗削りの玉(ぎょく)」の意。

銘々の経緯はともあれ「磨けば輝く将来があるかも・・・」ということ?でしょう。

学校名としては面白い名前だと感心したものです。

 

それは浜北区の宮口という地名にありますが、駅は天竜浜名湖線「宮口」。あてずっぽうですがこの「宮」とは学校の東側にある六所神社のことでしょうか。

鬱蒼とした冬の神社の森は陽の光を遮って寒いものですが、この神社の南側に古墳と見たこともない形式の五輪塔があります(場所はここ)。

先般記した「勝栗山」の流れとしてこの辺り近くの興覚寺付近まで古くから墓域が広がっていたことが推測されます。

現在はその南面は住宅地になっていますが、中世は街を望む丘陵下段の森林地帯だったのでしょう。

古墳はやはり南側に開口部がありました。

 

私の小中学校時代はこういう穴の入口があれば必ず仲間を連れてローソクを持って入り込み、墓地ならぬ「基地遊び」をしたものでしたが、さすがに今は入ろうなどという気にはなりません。その古墳の東側、神社の整備された駐車場から20mほど南西側に下った畑の中に川石に積まれ小山の上に建つ五輪塔があります。

 

時間を経るとこういった河原の石ころは建築資材に手頃であると流用されて無くなってしまっても不思議はありませんが、奇跡的に当初のカタチを残しているようです。

これまで見たことのない雰囲気に感動いたしました。

五輪塔はカタチも良く、特に水輪の梵字が光っていました。

どなたの墓地か不明ですが、古墳同様、地元の有力者の墓でしょう。南北朝期のものと。

 

最後の画像、神社の駐車場右端から下ればこの塚がお待ちしています。