通称井伊城は井伊谷城根古屋   標識案内増を

一昨日の晩のNHK「所さん!大変ですよ」の「フニャフニャグッズ」の紹介には唖然としました。

野球のバットのフニャフニャから変形ドッジボールのフニャフニャに変形ソフトボールのフニャフニャ。

 

野球バットの方は別の意味があったようですが、後者2つの我らが行った小学校の低学年と高学年の二大お遊びについては、今や

あの頃のモノとは全く違う形態。

要はボールを投げたり取ったりすることが出来ない子供が多すぎ、これまで通りの運動やゲームが成り立たないために、文科省の苦肉の策というのがこの指導要綱。

 

ソフトボールでグローブを付けさせても握力が無いため、ボールを掴めなかったり、皆何故か足の親指のみしか使用していない子ばかりで踏ん張りが利かなくなっているようです。

そんな中、誰もが簡単に「スポーツに苦手意識を持たないよう」気軽に楽しく体を動かすことに触れられるようにとのことです。

 

まぁ当たり前と言ったら当たり前、大人の都合、携帯端末、スマホにゲーム機器の普及で家の中ばかりに居て「指と目の運動」ばかりしていればそうなるでしょう。

私たちの時代は日没過ぎるまで外で遊びまくり、度々親に呼び戻されたものでした。

 

人が少なくなっているうえに、子供たちのこの様を仕立てたのは我々オトナたち。子供のこれらの姿を「退化」と呼ばず何といいましょう。番組で記していた「運動時間一日に10分以下」の子供たちが圧倒的に多かったのは大いなる驚きでした。

 

さて、紛らわしくてすみません。

国人領主井伊家の館は現城山と呼ばれる井伊谷城の南東方向の平地でした。

詳細は引佐町第四区民館の前に掲示版がありますのでそちら(場所はここ)を見てみれば、「井伊城」の名が。

ということで一般的に井伊谷城という山城と井伊城という平城を区別する必要があるかもしれません。

 

平城の方の縄張り図を見ても本丸・二の丸・三の丸そして堀という文字が見られますので「城」なのでしょうが、紛らわしいこともあってそこのところを厳密に分けて考えるのも少々疑問。

私は館背後の有事の城が城山、麓の館が日常生活と施政の場で、家臣団屋敷と併せていわゆる「根古屋」と考えます。

国人領主の一般的スケール「100m×100m」より一回り大きいようですが、殆どそれに近い四角形の様相です。

 

今となっては、大河ドラマ決定後の「赤い旗差」が周囲のところどころに立てられていますが、こちらは住宅地と化して、何が何だかわかりません。たとえばその掲示板に記されている場所を散歩道的に由縁を記した案内板等を掲示すれば親切ですね。

龍潭寺とその周辺以外はきっと皆さん不案内でしょうからね。比較的井伊谷の城山は分かりやすいのですが、根古屋に推測すべき城館址があることまでは気がつかないかも知れません。

折角の公民館前の掲示版①~④ですので詳細をガイド書に記せば井伊谷の歴史を紹介できると思います。

ただし掲示版にはこの井伊城を「屋形」の語として記していましたが、国人領主の井伊家にもあり得るものか(後醍醐天皇南朝系お墨付きの家系として)と目から鱗でした。

きっと綸旨等の書面を根拠にされているのでしょう。

 

先日も地元お歴々の衆が集まって「対策会議」(観光客誘致の)が催されたというニュースがありましたが、これから観光客を集める対策がどうなされるのか楽しみです。お手並み拝見というところですね。初回20%以上の視聴率をゲットするためにも後方支援していきたいところでしょう。

 

⑤が井伊館二の丸付近から見た三の丸方向と井伊谷城。

館址は井伊谷交差点⑦から北に約100mの井伊谷上交差点⑥から西北側。⑥が三岳城。