禁門の変 難儀迷惑はこちらでも  大山崎大念寺

ホントかどうか知りませんが時の首相が自分の出身地(長州)の話題をゴリ押しして無名の人物にスポットをあてたといわれる今年の大河ドラマはついに昨晩が最終回と。

一時は視聴率の低空飛行に「打ち切りか?」との声もちらほら聞こえていましたが、何とか最後まで続いたのですね。

平均視聴率が前回最低を更新した「平家物語」の12.01%を上回って(下まわって?)今のところ12.00%になったまであるのは知っています。

 

出演者や製作側に罪はありませんが、私もまったく興味がわかないストーリーでついに1回たりともチャンネルを合わせることはありませんでした。

かつての大河ドラマで1度も「見たことがない」というものはハッキリ言って初めてのこと。最近は歳をとって日曜の夜のゆったりした時間にその番組を視聴することは週1の楽しみでしたから。

 

どんなに「おもしろくない」と思っても、他局民放のバカバカしさから「消去法」によって7時のニュースからそのまま「点けっぱなし」の「ダダ流し」にしていれれば目に入ってくるものですが、今回だけは積極的にチャンネルを回していました。

 

やはり理由は「つまらない時代背景」というものだけでなく以前の放映「八重の桜」(2013年)の敵役の主流長州の反対バージョンという「お返し」感という小手先の差配が感じとられましたのでその嫌らしさから。

そういうものにはつい反抗的になってしまいます。

 

私が面白いと思えるのは「戦国時代」ではありますが特に採用して欲しいと思うのは室町時代でも応仁の乱以降~信長秀吉家康の出る前あたりで、戦国史登場人物としては今一つ精彩を欠くかも知れません。

視聴率という大事な数字を背負っていますのでなかなかホイと手掛けようというのは難しいとは思いますが、そんな中、今回決定した「井伊直虎」はややそれに近い時代であって素直にうれしいです。

 

室町幕府八代義政時代を描いた「花の乱」(1994)がしばらく歴代大河最低視聴率という烙印を押されていたことから少々のリスクを感じていることは感じられますが、何とか視聴者の心を掴んで大河人気の復活をお願いしたいところです。

私も振るって応援させていただきます。

 

大河不要論など放言する評論家も出る中、シビアにその模索が続いていることも推測されるところですが、本当に戦国時代好きの私など次回二期連続(「真田丸」―「井伊直虎」)の戦国時代にはホッとしていますし、楽しみな日曜日になることこの上ないところ。

 

当相良に於いては「田沼意次を大河に」などという声がありますが、視聴率のことを考えれば地元の私でさえ「そりゃ無理だろう」とハナから感じてしまいます(口では表立って言いませんが・・・)。

このテレビ以外にたくさんの余興がありふれている時代、24%の「篤姫」が目標とはいいながら、内心20%などという数字は無理だとは思うにしろ、及第点として17%以上はいきたいところでしょうね。

その数字には余程の吸引力と話題性が不可欠です。

 

まぁ相良から総理大臣でも出て、公共放送局に自分の手下を突っ込んで番組製作決定権を握らせたとしたら、あり得るのかもしれません・・・。

そういう権威を利した地元人気取り的な振舞があったとしたら本当に見苦しいことです。

 

まぁどこかでも時に書き散らかしていますが、私が「ここだけは」狭量かつ頑なに、腹立たしいと思っていることは「禁門の変」で敗走がてらに東本願寺に火をかけて逃亡した長州藩があるからですが・・・。

 

さて、昨日は「生きもの地球・・・」が終わって大河ドラマが始まる寸前にチャンネルを合わせた「日曜美術館」(再)は今年1年毎度の「まったりタイム」。

その日の冒頭約15分は「大山崎美術館」でした。

モネの「睡蓮」の展示場は撮影禁止エリアで私は記録に残せませんでしたが、久し振りに映像を通して見る事ができました。

にも館内の様子が映し出されて見覚えのある場所に「ふむふむ」と頷いて、その時私が撮影した画像を引っ張り出して懐かしんでいました。

 

大山崎周辺の散策は京都の街中と違ってまさに「自然の中」ですので、楽しみ方も色々。ハイキングに良し、歴史散策にぶらりと歩いても良し、お天気さえ良ければ言うこと無しのエリアです。

私はといえばいつものように散策中にお寺にあたって時間さえあれば墓地に一直線、ただ漠然と古そうな墓石を見回して歩いているだけですが。

 

あの時、大山崎美術館より麓側の坂道にある大念寺というお寺が目に入りましたので何となくお邪魔することにしました(場所はこちら)。

「何となく」とはあてもなくただ行ってみるにはパッと見、かなりキツそうな階段が目前に上へ向かって広がっていて、かなりの寄り道感があったからでした。

その時は山へ上り初めて元気がありましたから、まず「ご挨拶」と歩を進めました。

お寺の名を見れば「ここに阿弥陀さんがいらっしゃる」ということはだいたい察しがつきます。例外もありますが文字で言えば「念」「浄」「願」「蓮」「西」「称」「光」でしょうか・・・

宗旨としてはこの辺りに真宗は聞きませんので浄土宗か天台宗かと考えながら門前まで。

 

「寺参り」には墓石との出会いと仏像拝観の2種がありますが、その両方ともダメのお寺を「ハズレ」と、失礼ながら勝手に決めつけて廻っていますが、これは仏像拝観どころか、本堂に上れないお寺がたくさんあるということです。時代と社会がそうさせたのかも知れませんが悲しいことですね。衆人だれでも救うのが仏の願いなのに面会謝絶をしてしまうなんて・・・。

しかし中には忙しくて外を飛び回っている御住職もいらっしゃいますので管理上そうせざるを得ない場合もあるでしょう。

致し方無いですね。

 

「見佛山大念寺」は浄土宗のお寺でした。

ということで看板を拝見。弘治元年(1555)地元の井尻但馬守長助という人が知恩院から聖人を呼び開山したとのことで本尊は「阿弥陀如来立像」(80.5㎝)。こちらは重要文化財の指定が付いていて、予約があればOKだったようですが、残念ながらさすがにおいそれとお参りできるものではありませんでした。

画像は大山崎町の観光案内のサイトにあります。

 

ということで墓地に参れば納得の五輪塔たちと立派な宝篋印塔のお出迎え。コレがあるからやめられません。

誰とも知らず「宝篋印塔」は町指定の文化財になっているそうです。寺は正親町天皇の勅願寺という経緯があって当時の「やんごとなきひと」の墓石かも知れません。

 

以前も記しましたように禁門の変前の長州藩のベース基地はここ山崎は天王山(最後の画像が彼らの墓域追記)。

東本願寺以下洛中に火を放って落ちてきた長州残党の衆は山﨑に立て籠もる様子を見せたため、幕府方、新撰組の追捕がかかって地域一体に火が放たれたとのこと。

そのため、付近民家もろともこのお寺も焼け落ち、以降復興に時間を要したそうです。