イスラム偶像崇拝の処断    大山崎山荘美術館

京都に居ついている愚息の勉学と、社会生活参加については甚だ不安で尚未だその将来に迷惑というものがありますが、それを口実にして京都方面に赴けば、つい彼の事は忘れて私の趣味の方に楽しみを見つけています。

彼は父親の存在が煙たいようで、先日も「学食で飯を喰おう」などといえば、けんもほろろ、拒絶されました。

まぁ「嫌なこったぁ」でしょうが不足生活用品を届けさせておいて腹は立ちますね。

しかし、おかげさまで関西方面に気軽に赴くことができて今のところは順風の如くです。今後どんな逆風があるかは未知ですが、何とか普通で一般的、みんなと同じ学生生活が終了できればうれしいことです。

 

あ奴のために時間を割こうと思えば上記の如く、たくさんの時間を逆にいただいたという形になって「これもまたうれしや」と思いついたままに、ちょっと普段は行きにくそうな京都方面の地に目的地を選びました。

 

それが「大山崎」でした。ハッキリ言ってこの地で遊びまわるには朝から動いて昼抜きにしても午後もかなり廻ってしまいますね。殆どが天王山の登攀で時間を割かれますがこの地を訪れてこの山を登らなくては「仁和寺の法師」になってしまいますから。何せ世に言う「天下分け目」の冠が付く地であって、あの「関ヶ原」と肩を並べる場所でもあります。

 

その天王山を東海道線山崎の駅前を少し行った場所、頻繁に通行する列車のため時間によってはなかなか開かない踏切の手前の1日500円の駐車場に停めてから登りはじめますが、これはこれより上に車両を停める場所が無いからですね。

中腹にお寺が各所にありますが、そういう場所に放置するのは反則です。

拙寺もその手の車両には閉口させられていますので。

 

さて、山を登り出してスグに分かれ道があって標記の山荘美術館の案内があります(場所はここ)。

そもそもの本来の目的とは違いますが折角ということもあり下山途中で寄り道することにしました。美術館併設の喫茶室で一息つこうということもありました。

 

こういう寄り道は時間というものに恵まれたうえに、ある程度心の余裕というものがなければ出向けませんが、ちょうどコンディションも日和もベストの日でした。

 

美術館のウリはあの天王山にあってその景色(2階喫茶室からの望遠)と「睡蓮」はじめモネのコレクションにたくさんの陶器たちですね。

企画展としては「テンプス・フーギット」(時は逃げる)なるラテン語が掲げられていましたが、仏教的に解せばそれこそ一言で言って「無常」ですので、日頃からその語をやたらと口にしていることもあって、「なるほど」と心が動いてしまいました。

また、いい言葉に触れさせていただきましたね。

 

美術館の展示品にはカメラを向けることはできませんが、この美術館のサイトには展示内容もある程度紹介していますので、ご興味のある方はこちらをどうぞ。

 

私がその中の出会いの中で一番印象に残ったのが「パルミラ饗宴図浮彫 (2~3世紀)」でした。

シリアの砂漠に残る遺跡で世界遺産に登録されています。

私はその遺物(墓石、石棺の蓋)が何故ここにあるかということについてはわかりませんが、脈略無くただその部屋の隅に置かれたそれに心を惹かれました。

写真撮影は禁止されていますので諦めていたのですが、帰宅してそのサイトを開けると吃驚、画像がアップされていました。

 

パルミラは、1-3世紀にシルクロードの西の中継地として栄えたオアシス都市ということでその繁栄と没落衰退というものをこの墓石一つを見ただけで伺うことができまます。

また、これそのものが上記の企画「テンプス・フーギット」(時は逃げる)であって、無言の何かを訴えているようにも感じました。

 

このパルミラはの遺跡といえば、先日来ニュースで報道されているIS(イスラム国)がシリアアサド政権から占領している場所です。政府が遺跡保護のため攻撃の手をこまねくことを承知でその遺跡を占拠しているようですが、ユネスコも声明を出して保護を呼びかけていました。

予想するにISは撤収と同時にこの遺跡を破壊していくことは目に見えていますね。

 

彼らの宗派には「偶像崇拝」は無いとのことでこれまでも徹底的にその手の遺跡を破壊することは有名です。

バーミヤンや他の遺跡を爆破、破壊する様子を私たちは見せつけられています。

ずっと昔からイスラム世界が浸透してきた旧来の地の文化は破壊されてきたという歴史があったのは他宗との協調や融合はあり得ないということなのでしょうね。ここに「他を認めない」という極端な思想があることがわかります。

イスラムにも許容度の高い宗派もあるようですが、このグループ一つが突出してその教えを代表的な思想であるが如く流布していることに問題があるようですね。

 

美術館にあるこの遺物を見ておわかりだと思いますが昔は顔の部分や首を落すのみだったのです。女性の頭は残すという、何か優しさのようなものも感じます。

ところが最近は完全破壊を試みていますが、これは「許容」という考えが後退しているということであって、もはや私にはその教えを「宗教」というカテゴリーに入れることはできません。

宗教の基本は「自我を滅して他者を助ける」にあるはずですので、他を認めないという考えは「淘汰して君臨」ということ、やはり有り得ませんね。

 

「淘汰して君臨」は「戦闘の継続」です。

やはり宗教は平和というものに根差し、それを目的にしなくては不毛の教えとなりましょう。


この石棺を見て今一つ想うことは、我が国にもそれと同様の歴史があったことですね。

明治維新期の廃仏毀釈です。

何度もブログでとりあげていますが、日本全国またぞろ首なし石仏があるのはその為ですね。

 

木仏でしたら木端微塵、火にくべられた仏も数知れず、本当に恥ずべき時代の恥ずべき法でした。

 

人間は他者の批判的に見る目を持ち合わせていますが、自らのしてきたことへの反省というものには酷く疎くて、しばしば忘れがちになります。今ISがしていることとまったく=で結びつけることはできませんが以前の我が国の「淘汰して君臨」しようとした姿は案外似ていなくもないような気がします。


彼らが今、常套手段で行っている「自爆テロ」というのは戦時中我が国がやり始めた「特攻」と同じですよね。

もしかしてあの時、我が国がその手の人名無視の戦法を起案していなかったら、現在その「自爆テロ」は、ありえない事として世界には広がっていなかったかも知れません。

世界人類にとってまったくけしからん歴史を残してしまったような気がしてなりません。

 

この地は木津川・宇治川・桂川が1本になって淀川になる場所で4つの河川の名が登場する地です。

美術館2階の喫茶室からの展望は今一つ「高さ」不足でその景観を把握するのは難しいものがありましたが、まぁ雰囲気だけでも感じ取ることはできました。山崎といえば水、そして五月の空気の美味さは格別のものがありました。

 

最後の画像が私が食した「ガトー・プールプル」。

その菓子の解説によると・・・

「モネはジヴェルニーの邸宅の庭につくった日本風太鼓橋のかかる池をこよなく愛しました。

日本産の紫いもを使用したラムレーズンケーキは、池にうかぶ睡蓮の花を思わせます。」と。