「定めし・・」を思う「古千屋(こちや)」 芥川

決定していることは安心ですね。当たり前といわないでくださいよ。それに気づかない方が多いのですから。

 

ネコ共はご飯が出される場所、時間もそうですが、人に対しておねだりの声をあげたりすりすりしてこびを売るのは食事を出す人が来たという安心感の発露でしょう。

 

いつもと「おんなじ」が何より安泰なことなのです。

変わってしまうことは怖いですね。

人の心変わりというものがそれです。飼っていたネコをふっと気が変わってあるいは何かの事情でパッとどこかの寺の境内に捨てていく。気の毒ではありませんか。

 

そして何故か報恩講になると黒いネコがやってくる。

不思議すぎる現象。

無茶苦茶人懐っこくて、先日は本堂の中から出てきたのはびっくり。お参りのどなたかの出入りの際、一緒に入ったきりになっていたのでしょう。家に入りたがりますのでこちらの気持ちも動揺します。しかし外で思いっきり遊ぶ姿を見て、余計な事は考えまいと。これから寒くなるのですが・・・

 

さて、主役は古千屋(こちや)という名の女ではありますが、その超短編小説の脇を固める「役者」は一流揃い。

好みの武将たちがまたゾロです。芥川龍之介の作品です。

だらだらと語る三文歴史小説風の類と比べて、遥かに面白さを感じます。

 

ストーリーはあの「夜討ちの大将」でお馴染みの塙団右衛門の「首」を巡っての段。「出演者」は彼を討取った浅野長晟(ながあきら)、そして本多正純、成瀬正成、土井利勝、井伊直孝。勿論徳川家康も。

また高天神城徳川軍攻城戦の際武田軍監で落城の始末を甲州武田勝頼の元に知らせるために脱出した横田甚右衛門(横田尹松 甚五郎の抜け道)です。

 

塙団右衛門を形容するに「天下に名を知られた物師(ものし)の一人」とは面白い。

まぁ「物師」は今で言えば単に「やり手」という表現になるでしょうが、敵方として悩まされた身としては何気に「ワル」風雰囲気が漂ってまた、敬服の意味も含んでいるよう。

 

そして何より「定めし本望」の「定めし」の語

親鸞聖人はこの「定めし」を「一定」という語で使用していますね。意味は「決まっている」「決定的」ということ。

ここで決まっているのは「往生」のこと。

蓮如さんも改悔文で「往生一定 御たすけ治定と存じ」と記しています。もっとも、決まっているには決まっているのだが「信心」が決まらないとコレも決まらなよと。それもお迎えが来る前のこと・・・。

 

「信心定まるとき  往生定まるなり 

                    来迎の儀則をまたず」

                                              『親鸞聖人御消息』

 

そして今一つ

  「地獄は一定 すみかぞかし」

                『歎異抄二章』

 

浄土も確定、地獄も確定 さあ、どうしましょう。

この「地獄の確定」はそのシチュエーションを理解しておかないとワケわからなくなります。

こちらは会話の中での譬えですね。

法然という師匠への「信ずる心」が固いということ、信心というものへのウェイトの高さを示唆しているものでしょう。



青空文庫で読めます 「古千屋」 芥川龍之介