本当は憎らしかったあの姿   金次郎への子供心

最近になって「不注意、多動性、衝動性」症状が顕著である人のことを単に発達障害、多動性症候群とかADHDなどの言葉で言い表しているようです。

私の周囲にもたくさんいらっしゃるようですが、学校の方はというと入学拒絶の傾向にあることは知っています。

ただでさえ教師は忙しいのに一人の「その子」に時間を割く余裕がない、安全を確保できないという理由でしょう。

まぁ学校というシステムの欠陥なのか責任逃れの如くにしか思えませんが、いったいいつごろからそんな「病名」が言われ出したのでしょう。

 

私の子供時代にはそのような言葉は一切聞いたことがありませんでしたね。

最近になって、医学的にその病状が「病」として確定して薬も開発されて投薬によって改善されるようにもなっているようです。

 

ざっとその言われている症状とやらをコピペ羅列すると私自身というか小生の家の伝統的な性質(たち)でもあって、すべて思い当たるフシがあります。父も私も息子もみんな同じでした。

教師泣かせで殆どそれも「病的」に近かったことはその世代一緒だった者は誰もが頷くところでしょう。

 

・座っているべきときに落ち着いて座っていることが難しい

・皆と一緒の遊びにおとなしく参加することが難しい

・過度におしゃべりをする

・質問が終わらないうちに出し抜けに答える

・順番が待てない

・他の人をさえぎったり、邪魔する

・不注意な間違いをする

・授業や遊びの中、物事に集中し続けることが難しい

・興味のあることには集中しすぎてしまい切り替えが難しい

・話を聞いていないようにみえる

・物事を順序だてて行うことが難しい

・同じことを繰り返すことが苦手

・必要な物をなくしたり、忘れっぽい

・注意が長続きせず、注意散漫

 

ただし、見方を変えればその程度の差こそあれ、誰もがその辺りの問題は心当たりはあるのでは・・・?

ハッキリ言って全部私にあてはまり、コレに関しては100点満点いただけそうです。

 

人間だから性格もあるし「しょうがねぇだろ・・・」と思う部分も十分ありますね。

まぁ過度にその傾向が出て、時として制御がしにくくなるのが玉にきず、指導者、教師、リーダーの「コントローラー」たちの苛々に拍車がかかることはわかりますが、それが「病気」と認証されるようになったとすれば逆にいよいよ見捨てるような態度は出来ない筈でしょう。

 

ところが学校はじめ、社会全体の無知・無理解からそういう子供が居ると一同白い目で見て、まず大抵「親の躾」にその責任を転嫁して本質を見ようとしません。

 

可哀そうなのは母親一人、その子の現状と将来を悩み、社会の無理解からも疎外感を増長してしまいます。

男女比として子育てに一歩引く身の男の理解力は特に低く、家庭内での躾の件を妻にまかせっきりの傾向は母親の孤立を招く要因にもなっています。

 

少子化問題に悩むこの国の課題は「人への優しさ」への回帰ではないかと思います。

私は何故にしてこの「病」として認証された症状を発する子供が増えているのかはわかりません。

もしかして人と人とのつながりが薄くなっている環境が問題なのか、生活そのもの、社会環境がいけないのか・・果たして何が原因なのかわかりません。

しかし子供の「育て難い感」は大いに感じます。

それを特殊事案として扱い、子供を育てあげるためのフォローが期待できない社会があるのなら、人口の減少傾向に歯止めがかかるはずはありません。

 

いちばんイケナイのはその病を子供限定と考える医療界の不理解もあるそうで、改善されないまま成人したADHDを認定されるような人たちが多くいるということを認めていないようです。

これは厚労省が成人用のその治療薬への認可をしていないということからわかりますね(米国では治療承認薬は多数あり)

 

ノーベル賞等華やかな部分には振るって顔を出す人はいますが面倒くさい(大臣さんが別の事案ですがこのフレーズを使っていました・・・)こと~ADHD等、障がいを抱える人への対応~に目をつぶる政治があるというのなら本当は日本と言う国は「旧態依然の医療後進国」なのかも知れません。

 

『 1億 総「自分だけはまとも」社会 』、まさに文科省と厚労省の怠慢でしょう。

だいたい「自分は別格」と思って威風振るう輩に限って、時として箍が外れ、お騒がせのてんてこまいを演じている様子を見せつけています。誰もがその手のスイッチを胸にしまっているのでしょう。

最近のその言いぐさ、常套句は「ストレスが溜まっていた」でした。暗に「自分が悪いのではない」と言っているのですがね。

 

世の母親方、自分の子供が譬え周囲から白い目でみられていようと、それは子の個性であると信じ、悪いのは無理解無知の社会であって「母の責任」という考えから放れましょう。

適切なアドバイスと療法が得られたら改善のために少々の忍耐を強いられますが、少しの遠回りと解し、前を向いてください。

 

私たち家系のその性質は何とか、成長と共に制御可能なまでになっているようで、「投薬」には至っていませんが、そもそものあれら「症状」というものは、本来の人間の持ち合わせた本質的な積極性が過度にスイッチングされるだけのよう。

私の母親は苦労していたようですが、開き直ってもいたようです。

「人様への迷惑」というものに関して人生一生に天から与えられた許容度というものがあるとしたら、めいっぱい使いきってしまったのでしょうが、私などは何とかこれまでやらせもらっていますよ。

 

私の息子は小学校時代は教師に「別の学校を紹介する」「一度医者に診てもらえ」まで言われています。

断固拒絶しましたがね・・・。

「気にする事はない」くらいに、ずうずうしく開き直って淡々と構えるのもポイントでしょう。

それこそ「あなたのせい」ではないのですから。

 

まぁ大騒ぎせずに寛大に周囲が温かく見守るスタンスが必要ですね。徐々に医療機関は子供の症例に限って前向きに改善の指導をしています。

投薬によって改善できるのなら積極的に医療機関を利用し、行政もその補助を怠るべきではありません。

 

さて、私は小学校時代「金次郎」の故郷でもある小田原でしたのでその人の関わる「偉い」というお話には「耳タコ」でした。住まいは城内南に明治期に造られた二宮神社の南側だったので、中1~2の間はその境内を突っ切って小田原城を抜けるというのが日常。

小田原の人がハイヤーを呼ぶとしたら「報徳さん」の一言でわかりました。その名を冠にしたタクシー会社でした。

小田原には「報徳」をその名称とするものが何かしら多かったように思います。

 

日本全国の小学校にはまずあの勤勉と勤労を兼ねた銅像があるものです。

 

前述のように私は常に「その調子」のはみ出し小僧でしたので、教員たちに辟易とされていることがわかっていました。

小田原市栢山の彼人の生誕の地は、小田原城下からは北に離れて松田町に近い場所ですが、遠足と言えば「この地へ」という声が度々あがり何度か行った覚えがあります。

 

その際、列を乱したり、先生の指示を聞かなかったりの態度をした時、必ずと言って「金次郎さんを見倣え」風の言葉を投げられて酷く叱られたものです。

毎度その語を投げかけられていました。そういうことで私の嫌いな物、第一は「二宮尊徳の銅像」ですね。

 

それに拍車がかかったのは、庶民への厳しい一面を語るエピソードです。彼の偉業、イイ事ばかり伝記に記されていますが、酒匂川の堤を造成している時、きっと私の様な不届き者、サボってお喋りでもしていたのでしょうか、彼は後ろがその者を蹴り飛ばして川に落としたといいます。

それ以来、勉強はできて頭がイイしキレ者、おカネを稼ぐのも上手、しかし「イヤな奴」というイメージが固まったのでした。

まぁ、出来ない奴の僻みと怒られることへの反発であったのでしょうが。

 

史料館①と墓地、善栄寺のお墓(場所はこちら)

最後の画像、近くにあった小さな一石五輪塔を2個容れる函型石棺の面白さに興味を惹かれました。

ご夫婦仲良くの感がありますね。

かなり以前の画像です。