文治地震 言葉にかけて言ひ出づる人だになし

昨日も天気晴朗。ただし一昨日まで聞こえたクマゼミの声は遂に無し。娑婆に出てくるタイミングが悪かったのか、力尽きたのか季節の変わり目を感じて寂しい心地がします。人の命も季節の変わり目は変化がつきもの。ご注意ください。

 

『日本三代実録』に「陸奧國地大震動」との記述がされている貞観地震(869年)の再来が「東日本大震災」だったと考えるのが今となって講釈されるそのセオリーだそう。

地球規模の時間では大したインターバルでは無いことはわかっていても「たかだか50~100年の命」(蓮如さん)を授かっている私たち「人間」からみたら大層大昔の話でピンときません。

 

時間のスケール(物差し)が地球(天体)規模であることはその気まぐれさと偶然と誤差も「地球規模」であって、東海地区をかつて襲った安政地震並のものが当地で「来るよ来るよ」と威かされ続けてかれこれ半世紀近くですがそんな時間も「ちょっとした誤差」として解されるのでしょう。

あまりにもその脅威の御説のおかげで、ならば地震の来ない場所を・・と終の棲家を見つけんばかりにそれぞれの考えに基づいたその「安心」の地に行きついたなどと聞くことも多々。

 

特に地殻変動の影響の無さそうな・・・津波の被害の無さそうな・・・と京都奈良の盆地の安全性をまたよく耳にします。

私も確率からいってまずは大丈夫だろう・・・とその辺りの地域の、色々な歴史的風土に触れるという「楽しみ」の豊富さもあいまって移住候補地①沖縄読谷村の次にはやはり②京都方面への気持ちが動きますね。

 

しかし良く考えれば「京都」は地震から逃れるという点では まったく「安心」できる場所とは言えませんね。

これは専門家筋(地震学者そして歴史学と文学の世界)ではかなり有名なところなのですが、一般には歴史の中に埋没している「再来が予想される脅威」です。

 

サイクルのインターバールが1000年レベルであって誤差もひょっとすれば2000~3000年はあるかもしれない、いわゆるあまりにも「人智を超えた自然の気まぐれ」だから故の人々の忘却があるのです。

昨日食べた三食のことをも記憶から消えてしまう、哀れな私たちの脳みそでは危機感を維持しろと言われても無理といわれれば無理ですね。

 

並べて考えれば有史以来その人智を超えた天災数ある中で、実際に命を落とした人々の数と人間同士の争いや人類の作った殺戮兵器によって殺された人々とでは圧倒的絶対数の違いがあるでしょう。自然は猛威を振るうが人間の方がもっと怖いということですね。

「人類の英知」ということばがあるようですが、その英知とやらも自然のサイクル上の「気まぐれ」にあって時としての最大リスク「戦争」が絶対に無くならないというのもうなずけます。

 

そもそも交戦好きな人間たちは宗教や道徳観によって平和と安心を維持できているのですが、それら観念の衰退をトリガーとして次の「発生」をサイクル上に待っているのかも知れません。

特に70年という期間を経た日本の、兵器の製造と輸出を経済活動の一環として「ひと儲け」と道徳観と敗戦後の箍を喪失させた現状こそ、私はそのサイクルの誤差の中に立っているような気もしなくはありませんね。体のイイ言葉「防衛」と「防衛産業」は政治屋のマインドコントロールの様にも感じます。

風や雨よりお日様の心が「安心」をもたらすイソップ物語―北風と太陽―に学べればいいのですがね。

子どもの時に聞かされたお話を大人になると忘れてしまいます私たちがあります。大人たちはこのお話を「アメとむち」と解してタカP態度で接する傾向に成長していくというのが全世界先進国と言われる人々の傾向です。

 

さて、その京都の「直近」の自然災害―大地震の記録といえば、文治地震です。

元暦二年(1185)に発生した地震のことですが、あまりに酷い惨劇を目の当たりにした朝廷は元号を「文治」に慌てて改元したのだといいます。「元歴」の語が忌まわしかったということです。平氏の滅亡した直後に京都を中心にを襲った大震災でしたから「平家の怨霊」説もまことしやかに流布され、平家を追いやった京都の貴族たちの心中は平穏ではいられなかったでしょう。

その地震についての記述は各種ありますが、殆どのものが京都中心から近江あたりの被害であることから

①震源が比叡山東側の断層が動いたという説が有力ではありますが、②東南海地震説もあってこの場合、たまたま歴史に登場してこない(記述に残らない)だけで、書物の記述が中央に偏っているのだという論もあります。

 

どちらにしろ京都市内の無茶苦茶振りについては確かなようで、一番に有名な書物としては、鴨長明の方丈記に記載されています。特に液状化現象と余震についての記述はリアルです。

 

大地震ふること~そのさま、世の常ならず。

山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり。

土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。

なぎさ漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどを惑はす。

都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。

 

あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。

塵灰たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。

地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。

家の内にをれば、たちまちにひしげなむとす。

走り出づれば、地割れ裂く。

羽なければ、空をも飛ぶべからず。

竜ならばや、雲にも乗らむ。

 

恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚えはべりしか。

かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波、しばしは絶えず。

世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。

十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月ばかりやはべりけむ。 ・・・・中略

 

すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし

 

学者さんたちが過去のデータを解析してどこが危ない、ここが危ない「次はあなたの住む場所」と脅迫されて半世紀。

どこにいても危険度は変わらないという気分。

そうなると良寛さんのあの言葉はイイのかもしれません。

堂々巡り秋の空。


画像は相良片浜の海岸。

こちらは滝境城より相良よりですが、もし津波があれば最大の被害が予測される地。

何せ台地南端が海岸線に迫っている場所で国道150号線と家屋が並ぶ場所です。最近は「津波なんか来やしねぇ!!」の声もちらほら。

一応は学者に敬意を表して準備だけはしておきましょう。