発見 半世紀以上前(昭和33年)の本堂前集合写真

5月8日の午前中のことだったようですが、都内浜松町にてあるものが「発掘」とのニュースが9日にありました。

モノがものだけに発見者は警察に110番したそうで、その慌て振りというものが覗えますが、出てきたとものは真っ黒く変色した人の頭蓋骨など。それを始め動物のものも含めて300点弱。

 

場所はJR浜松町駅から北西200mというから都心ど真中。

ホテルの建設工事現場、地中3mの場所をユンボで掘り起こしている最中の出来事とのこと。

古地図によれば当地は赤穂藩邸跡だそうです。

都内だと以前、大判小判が建設現場からザクザクと出たお話を記しましたが、金目のモノには大騒ぎにする割に今回は地味な扱いの様。

 

私が常々記している、「現住居地殆ど墓場跡」の如くの事実にわくわくしつつ、いい加減な調査をもって終わりにはして欲しくないと思いましたね。

開発重視で過去の遺物をアスファルトで覆い続けていることはもはや致し方ないとはして、今回は当時を生きたその方々の「証拠」が折角日の目を見たのですから、お決まりの「花と線香」で終了、「さあ工事続行」とはせず、出来うる限りの探究を行っていただきたいと思います。

 

往往にして「墓場の上に出来たホテルなんて薄気味が悪い」的感覚になりやすい日本人ですので、ホテル側としてはさっさと埋め戻して、そんなことは無かったこととしたでしょうし、まずは工事ストップによる損失のカウントに気が回るところでしょう。

まぁこの手の遺跡に関して触れられる事はみなさん嫌がるものですね。

 

9日夜のNHK「ブラタモリ」は鎌倉でした。

鎌倉といえば小さな都市から時間を経ながら拡大した街区です。住居地と墓場は混在あるいは、街区は墓場の上に造成していった(大阪の都市拡大 千日前)ようなもので、鎌倉はそこのところ顕著です。

その辺りの様子も放映されるかと思い、期待してスタンバイしていました。

 

鎌倉特有の墓場「やぐら」も紹介されていましたが、地元案内の専門家が鎌倉八幡宮前の通りの一つ目の鳥居下に案内して「ここを境(砂丘のトップ)にして海側辺りは(現在は海岸線はより内陸で現在の住居地区)「墓場と処刑場で骨が出てきた」と。

期待通りの進行と目を見張りましたが、番組ではその辺り、まったく突っ込みは無し。

みなさんもあまり触れられたくないところではありましょう。

 

世の人の談で「憑きもの」の件、ついたとかつかれた等、そして「私って霊感が強い方じゃないですか・・・」などと「知らねぇよ!!」と吐き捨てたくなるような事をマジ顔で語る人が時折出ては、まったく閉口させられていますが、「人はじめ、生きものの死」について、それらが「今生きている人」に向かって何か不可思議な力を発生するなんて、ワケがありません。

 

そうであったとしたら、時代を経れば経るほど現世を生きる者にとってはたまったものでは無い事になります。

生命発生以来いったいどれだけの命の更新があったのでしょうか。

まぁ、私が友人の「墓道」に向かって「人一倍墓参りしているが何も無い、あるワケがない。お参りして気を悪くする人がいるものか?  墓を訪れ旅をすれば疲れはするが憑かれてはいない アホらしい」と吐き捨てれば、「ただし別のモノ(ブログ)に・・・」と。「それほどでない」と反論しました。

 

さて、先日当家檀家さんから「こんなの出てきました」とあの写真を見せられました。

当家のどこかの箪笥にもあった、という家族の証言もありましたが、そこの探索は面倒、その道のプロの檀家さんの池田氏におまかせることにしました。

スキャンして画像処理していただくと、おかげさまでクリアな画像が浮かび上がりました。

 

この画像は「闡如」(せんにょ)さんが中央にいらっしゃるので例の昭和33年12月19日の画像であることがわかります。

門主(当時法主)の年齢は当時55歳ですね。

闡如さんから見て左隣が当山13代目で私の祖父、かなり若い(60歳)姿です。

 

驚きはまさに新鮮凄い動員数です。この小寺にコレだけの人たちは・・・。画像からはあきらかにはみ出ている人がいます。

そしてみなさん殆どが着物。女性は高確率。

 

本通りには呉服屋がたくさんあったそうで、檀家さんの中、かつて呉服屋稼業を営んでいた家もありました。

13代目に関しても着物以外の姿は目にしたことはありませんでした。そして晴れた日の庫裏の物干し場はお爺さんの紐のついた白い木綿布(褌)がズラリでしたね。半世紀たった今ではまったくそのような生活をしている人はいませんね。

 

呉服屋さんはみな廃業していますが、現代で着物姿の人を見る事はまずなくなったこと、「衣文化」の変貌は家の生業の浮沈に影を落とした歴史を改めて感じました。

 

この画像を見てどちらのどなた様なのか興味深々。

「指名手配」したいですね。特に前列左の着物の若い女性が気になります。

似た顔はありますが何と言っても57年前。

この図の殆どの登場人物は過去の人になってしまったのでしょうか。ちなみに私はいませんね。 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 11 5月 2015 16:06)

    前の列の和尚さんの右2人目が私の祖父。
    左側の若い女性の2人の内、左側が姉さんだと思います。
    姉さんの左にいる人は誰だかわかりません。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 11 5月 2015 17:12)

    ありがとうございます。
    凄いです。以前姉上様が「駆り出されていた」というお話を聞いていましたので
    「もしかすると・・・」とは思っていましたが。写真の中で一番に光っています。
    また今度、確認にうかがいたいと思います。よろしくお願いします。