「ツイていないが、まぁツイてる」うれしいこと

恒例の相良草競馬が相良海岸で行われていました。

イメージとしてはGWの初っ端の4月29日だったのですが、それより前の日曜日の開催でした。理由は不明ですが、好天に恵まれたということだけで成功も同然でしょう。良かったです。

 

私は近年、それを見物に行くことはありません。むしろ混雑を回避するため付近の通行は嫌います。

毎年その様子を欠かさずカメラに収めている方が午後庫裏に立ち寄って感想の一言。

砂浜がガラで荒れているらしく、レースごとに重機が入って整地するため、間が空きすぎてダレぎみになるとのこと。

 

ちなみにこの「砂浜」の件。砂が無くて石が多くなったのですが

語れば一番に不愉快な相良人の思いが潜んでいます。

以前、ブログで地頭方海岸で開催されたという運動会の件を記しましたが昔のこの辺りの海岸線はもっと「遠く」でした。

 

これは砂浜が消えて海岸線が陸側に迫っていることをいいます。

砂地が海側に迫っていましたので消波ブロックまで気軽に泳いで行けて、海の家からの「危険です」の注意放送もどこ吹く風でたくさんの人が「上陸」していました。

今は、そこまで泳いでいってブロックの上にいる人は皆無ですね。もっと古い時代を知っている方はそれ以上に海岸線が陸地に迫る様子はより顕著に感じていることだと思います。

 

コレはすべて御前崎港の埠頭延伸が理由でしょう(①図)。

美しかった駿河湾の海岸を台無しにした、あの埠頭は、何に対してメリットがあり、これだけの「損失」の提供に見合うものがあるのでしょうかねぇ?

まったくもってもっと住民は憤慨してもいい事案だと思います。原状復帰させるための提訴なんて考えないのでしょうか。

つくづく思います。人間の「お工作」の空しさを。

 

さて、午前の法事はいつもと順序が逆で、先にお墓参りから。

墓地は地代の山の上。駿河湾を見ると富士山は見えず、靄がかかっていました。天気がいいのに今一つの海の景色。

一足先に山に上ってお墓を確認に。

その時、段差に足を取られ、何と、転倒してしまいました。誰も見ている人が居ないのでその恥ずかしさはともかく、数珠が切れてバラバラ。

 

たくさんの数珠を使いまわしていますが、一番のお気に入りのものです。

そういえば紐が少々へたっていることは気づいていました。

どの時点で修理に出すか本当に微妙ですね。イキナリですから。もっとも左手を着いた時に負荷がかかったと思われますのでそういう問題ではなさそうですが・・・。

とにかく皆さんが上がってくる前に「珠」を何とか回収したつもりでいました。

 

すべての法要が終了して、珠の数を見るとどうも1つ足りないよう。そもそも真宗門徒の珠の数は決まっていませんので何が正解なのかわかりませんでしたが、19個というのはいかにもオカシイです。そこで軍手と箒を持って今一度墓地へ向かいました。

周囲の草むらに転がって隠れた可能性がありましたので周辺の草を除去して探索するという狙いです。

 

ほとんど崖の上で勢い余って下方に転がれば絶対に発見は不可能。殆ど諦めかけていたところ草葉を履き出した通路上にポツンとこちらを呼びかけるようにある翠色の珠をハッケン。

執念で探し出しました。まさに歓喜踊躍。命拾いしたような気持ちでした。

ついうれしくて海をバックにピントを合わせました。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 27 4月 2015 08:35)

    へ~ 転ぶこともあるんですね。 若い時とは違うんでしょうね。高い木に登るときはくれぐれもご注意ください。   
    良くもマー 数珠の玉が見つかったもんです。これも仏のおぼしめし。良かったよかった。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 27 4月 2015 22:05)

    ありがとうございます。
    若い頃から転ぶことばかりです。
    むしろ最近になっては珍しいくらいですね。

    若いうちは転ぶことを前提に受け身まで心得て事に取組みましたので意外に大きな怪我は
    無かったと思います。
    最近は「あってはならないこと」の思考が「ないことと」と自然変化してしまっているようです。
    そういう状況が「大怪我」に繋がる要因になるのでしょう。
    いつもハラハラするような状況にあるということが老化を防止するのだと思います。
    刺激は大事ですね。
    数珠は次回京都で時間があったら修理に出す予定です。
    昨夏殆どの数珠を修理に出してから既に2本が切れています。
    使用頻度が高いということと扱いが雑ということでしょう。