明治新政府の流布  廃仏毀釈と足利尊氏逆賊 御所八幡

バラエティ番組で宗派を超えた坊さんたちを集めて歴史や仏教のうん蓄を語らせたりするものが放映されていますが、真宗の坊さんがいたとしたらさぞかし困り果てるでしょうね。

 

たしか3回ほど放映されていた様な覚えがありますが、初回にはかわいらしい大谷派の女性僧侶が出演していましたね。

剃髪の坊さんが勢揃いの中、有髪の男性が出るとなると、まぁそれなりに視聴者には「こんなのもいる」ということでいい宣伝になりはしますが、やはり当流は女性僧侶が他宗派に比べて格段に多いということもあって、ベストチョイスと拝見していました。ところが前回あたりから、当流の考え方とは無縁の話題となってもはや真宗僧侶出る幕無し。

 

特に「御朱印」「厄」「修行」などというネタはどう対応していいかわからないでしょう。

それらのものすべて「当流にはありません」と言ったら話が前に進みませんし、あの場に居合わせたとしたら、そもそも無いことについてその「あり方」の講釈についてを頷きながら聞くという姿勢を保つのは本当に苦痛ですよね。

テレビを見ている方はチャンネルを変えちまえばそれでOKですが、あの番組には出られませんね。そしてまた司会者も「その考え方はありません」と返ってくることはわかっているので振りようがありません。

いい加減に本山から「バカバカしいので出演するな」と指示されそうな番組です。

 

ぶっちゃけちまえば、日本全国仏教宗旨数ある中で浄土真宗の信徒が一番多いと聞きますが、あの番組は真宗門徒衆に対して大いに誤解を投げかける番組であるということです。

 

先日のバス旅行の中でもこの番組の話題があって「面白かった」という意見がありました。他宗のことについて耳にすることはお勉強になりますが、どこかで一度「真宗特集」でもやっていただかないと真宗の坊さんはみんな消化不良になりかねません。

 

さて、明治維新後、政府の進めようとしたおかしな方向性の顕著なものに「廃仏毀釈」がありましたが、今一つ意味不明な思想方向として「足利尊氏逆賊論」というのがあります。

 

逆賊とか国賊という言葉は再び最近になって耳にするようになりましたが、今のそれはどうやら「反省」を促す人のことを言うようです。

特にかつて日本の政府が推し進めた戦争遂行によって自国民と周辺諸国民に対して苦難を強いたという事実を省みて頭を垂れるということ、「あるいは戦争はしてはいけない」と唱える人に対して憤慨しそれらの言葉を投げつけるという風潮です。

また、政府の舵取りに意見するだけで非国民と言われるような事例があるとも聞きます。

反省と感謝は仏教の基本で、常に我が身、わが国を省みることが必要なのですがねぇ。

 

おまじない的、語呂合わせの無根拠な「厄落し」など「お遊び」レベルまで。ハッキリ言わせてもらって真に受けるということは無意味だと思います。

坊主には本質的な人間の傲慢さと煩悩に焼かれる身の恐ろしさを語らなければならない義務があるのです。

 

建武の新政以後足利尊氏は後醍醐天皇と最終的に袂を分かち光明天皇を即位させ北朝とし南朝の後醍醐天皇方との両局化をお膳立てします。以降60年に渡る南北朝の争乱期です。

その際、いわゆる「天皇」の正当性の物差しである「三種の神器」を持っているか持っていないかの理由から北朝を擁護した(ニセの天皇家を立ち上げた)というとがその「逆賊」の理論だといいます。

 

しかし私は単純に「建武の新政」という当時の「維新」・・・武家の時代から天皇主権の国家に戻すといった変革の立役者で天皇家数ある中、武闘派で著名な後醍醐天皇に対峙したというところがその理由だったと思います。天皇主権国家を作ろうという意思はそもそも明治政府の旗印でしたね。

 

もっとも立憲政治とは名ばかりで、天皇を前面に掲げてはいながら薩長閥あがりの一部主導の恣意的な政治体制であったことは歴史が証明しています。

逆に言えば天皇の威を振りかざしてやりたい放題の体制を築いていった政府戦争遂行の中枢にいた数多の軍人政治家が真の意味で「逆賊」であったのかも知れません。

 

先日行った京都の洛中洛外図展開催の文化博物館に向かうに御池通にバスを停車させるには朱色の柵が目立つ御所八幡宮社を目印にしました(場所はここ)。

 

八幡宮信仰は源家以来の縁のある守護神であることはブログにて何度か記していますが、この八幡宮も足利尊氏に勧請されたものです。

応仁文明の乱と室町幕府の衰退に比例しつつ、矮小化していくのは止むをえませんが、明治以降、特に昭和になって強制的に敷地疎開させられているのが現状です。

よって鎌倉幕府創建の源頼朝の鎌倉八幡宮から比べても尊氏の八幡神宮は比較にならないくらいに小振りです。