畑違いの飛び入り講演会の聴講  少々場違い

金曜日は数日続いていた強風は止んでまずまずのお天気。

当家累代の墓域があまりにも汚らしくなっていたので一家でお掃除を。

 

当初は朝寝坊ばかりしている次男へのペナルティの境内掃き掃除からだったのですが、埒があかないため急きょ出動。

そこから始まった墓掃除でした。

家の中でじっとしていると、数日来のHPネットサーバーの不具合各種についての修復依頼とその回復で苛々がつのっていましたので「いい機会」と思ってドカジャンを着込みました。

 

家の中ではまだまだストーブは欠かせませんが、表に出てスコップを握れば、スグにホットになってジャンバーを脱ぎたくなりました。

やっぱり気温の上昇はいいですね。見渡すと雑草がぼちぼち生え出しましたのでこれから真面目に外時間を増やさないといけないことを確認。

 

何故にスコップが要るかといえば、数年前に改修した墓地の表面に色砂利を敷いてもらったのですが、葉や土が堆積したこと、古くて安定の悪い墓石の下に小石がハマりこみ地震で徐々に傾斜した結果、見苦しさが倍増して目に余ったという次第。

当初は砂利と土を分離洗浄して元に戻そうと試みましたが、このままでは毎度これと同様のことを繰り返す事に「はっ」と気づき、ベタでコンクリで固めるか、石を貼るか再検討することとしました。よって途中で放棄。

 

そもそもあの小島蕉園の銘のある墓石を素人の手で移動することはあまりにもリスキーであることを現場でもって気づくほどノー天気な私でした。

 

其の日の思い付きだけの行動はそれだけでは収まりませんでした。1400過ぎに東京からお墓参りの旧相良郵便局の植田氏にお会いしてご挨拶。聞けばこれから「いーら」で講演会があって何かお話するとのこと。

 

地元の金融機関主催のもので、絶対的に私には畑違いのお話であることはわかっていて尚また、気を使ってお誘いいただいているのでは・・・という気持ちが湧き起こらないわけではありませんが、ずうずうしくも地頭方の処理場にゴミ捨てに行ったあと、ほとんど作業着様の姿で暇そうにしている次男を引き連れて、1600開式の講演に10分遅刻しながらも「乱入」しました。

 

殆ど無謀とも言うべき、今時(バカ)高校生の風体と超ラフなスタイルの場違い親子は、違和感満点とは承知のうえ軽く会釈しながら空いている席を。中央一番前のみでした。

「お前もこれから学者の話というものを耳にする機会が多くなるだろう、イイ機会だ」と言って連れてきましたが、彼にとってはただの度胸試しにしかならなかったようです。

 

家に帰って感想を聞けば第一声「無理・・・まったくわからなかった」とのこと。当然か・・・

しかし質疑応答を聞いていると、なかなか場違いなトンチンカンな質問かも・・・どちらでもありますね。歴史関係のそれでは「それって自慢話?」風のものがありますが、さすがに経済学でのその手の方々は見当たらないものの、先生を政治家や将来の為替・株・景気・各経済指標の「予想屋」の類と混同しているように感じました。

 

金融関係はじめ地元事業者さんが多くいらした講習会でしたが、御一同が一番聞きたそうな株の話では比較的現実的数値を提示して「その時は買ったらいいかも」とまで。

意外なリップサービスもありました。

 

経済のお話も息子に負けず「苦手」ではありますが、ちなみに「経済」という語も仏教的発想「経世済民」が発祥ですね。

私の耳に聞こえてきた先生のお話をかいつまんで・・・

 

「好調の反動はつきものでリスクは各潜在しているが、これから株を買うのであるならば、日経平均に惑わされずTOPIX東証株価指数(⑤画像)を。これまで超えられなかったライン1800(赤いライン)を、『もし超えたら』その調整を待って買えばイイ」と。

 

ただしお話としては現在の好景気風は「実体経済」が伴うものではなくて消費、住宅投資は殆ど上がらず、GDPの伸びの大部分は公共投資であるということ、今の株高は政府が海外のヘッジファンド(殆ど海千山千の株投資集団?)に頼み込んで買ってもらっている(そんな表現は使っていませんでしたが)ようなことを仰っていました。

 

リスクとは上記ヘッジファンドが売りに回った時、そしてそれは目標とするインフレ率(2.0%)上昇に伴う金利上昇と止められなくなった円安なのだそう。

借金大国日本の財政が金利負担に耐え切られなくなって、よもやデフォルトの雰囲気が出ただけで円の投げ売りが始まる恐れもあるとのこと。

あのギリシャの如くにはならないでしょうが、たとえば消費税25%、社会保障費大幅削減という国民の大いなる痛みが伴うことになるかも知れないと。

 

政府は支出抑制に傾注せず湯水のようにカネを使いながら「借金どうしようか」と提起されても・・・という思いをあらためていたしました。

自分として「参加させていただくことのみ」に意義を感ずるようなものですが。自己満足。