一般論と具体的筋道 春は一進一退

おお!うれしや「暖かい春の訪れ」と思いきや、一昨日以来の強風と真冬感の逆戻りには閉口させられました。

庫裏や本堂と外の陽当たりに停めた車の中では20℃の差はあったでしょう。家の中では冷え冷えとさせられました。

 

戦後70ということとあの3.11が近づいているということでしょう、それらで亡くなった方たちを「忘れまい」という特集番組が各局からありましたね

テレビモニターという機械ということはわかっていても、それらに放映に現われた人々の実際の証言や、多くの失われた命、それぞれの「人生のこと」を耳目にして、思わず手を合わせ頭を垂れる思いに駆られます。

 

特に東京大空襲の民間人死亡者10万人というその数字には、いつ見ても驚愕させられます。ブログでも安吾の「桜の森・・・」を引き合いに出して記させていただいていましたが、本当に信じられないような数字ですね。

日本国は早いところ敗戦に気が付けば良かったのですが、頑張って頑張って戦争を続けてしまったために、各地の無差別爆撃が続けられて、挙句2つの原子爆弾を落とされて、「その時、やっと気が付いた」のでした。

 

国民を窮状と死という悲劇に導いた、政治というものの恐ろしさを切実に感じた場面ですね。

とっくのとうに「日本が戦争に勝てるわけがない」と思っていた人はたくさんいましたが、その手の事を口にすれば特高警察がすっ飛んで来て連行される時代でした。

 

特集番組で「私の街も戦場だった」(TBS) を見ました。

米軍戦闘機が低空飛行での機銃掃射の際、搭載された「ガンカメラ」でとらえた新映像でした。これまで見たことも無いカラー動画で、まさに凄まじい地上の惨劇が推察されるものです。

米軍パイロットの証言、「逃げ惑う老若男女が戦闘機の機銃から見れば日本の紙っペラのような家に逃げ込んでいく・・・」という表現はあまりにもリアルです。

 

特に終戦寸前の八王子で起こった「湯(い)の花トンネル列車銃撃事件」の証言や再現ドラマは見入ってしまいました。

さらに驚いたことは、番組製作者はアメリカに行って、その日の戦闘に出たパイロットを探し出し、あるいは戦友たちにインタビューをしたことでした。

そのインタビューに応じる姿勢もそうですが、アメリカの国防省がすんなりとそのような機密扱いにされそうな映像や個人情報をあっさりと知らせていることです。

 

日本ではおそらくその手のことは無いでしょうね。

もっとも一番の驚きは多少の開き直り的言葉(命令だから、戦争だから・・・)があっても致し方無いとは思っていましたが、その老人(パイロット)は「申し訳ない、すまない」と涙を拭いていたことです。逆に気の毒なことをしたもの(取材に対して)と思ってしまいました。

 

「戦争はやってはいけません」。

年配の方たちからこれまで教わってきました。大概の人もその言葉は口にします。

しかし、それって「一般論?」になってはいないでしょうか?

私たちはもう1枚も2枚もその言葉の本質そして何が戦争を起こさせる道筋になるのかその具体的詳細まで掘り下げて、いよいよ思考しなければならないと思った次第です。そして「気づき」と「反省」も・・・


3.11は人災部分も中にはありましたがきっかけは自然災害。

戦争は最初から最後まで「一部人間の考えの集約と国の犯罪」です。

 

画像は風びゅーびゅーの海。白波がよく見えます。

④は釡原城西下の字、「佛念」の広場に生えたつくしん坊たち。