小西行長娘(猶子)「ジュリア おたあ」駿府へ

かれこれ20年でしょうか当家累代ネコに沖縄から連れて来たシャムネコのオスが居ました。名を「アウグスティヌス」、略して「アウ」と呼びました。

イイも悪いも「遇うものはご縁」となかなかいい名を付けたと自己満足していたものです。

 

かなりハラハラさせる奴で、小田原時代、近所の家の池に飼われている金魚だか鯉やらにスズメ等を捕獲しては自宅に持ち帰ってきました。

池の魚の件は数度に及びました。おかしな声を出すものだから見に行くと畳の上で瀕死の赤い魚がピクピクしていたのには仰天させられました。同じようなパターンが続き、嫌な予感がしてその部屋へ行くと同じ情景が繰り広げられていたものです。

 

小田原では飼えなくなったため相良の父母に見てもらおうと「アウ」ともう一匹「茶菓―チャカ」というニセ(偽)シャム(雑種)の雌を二匹で引っ越しさせてさせましたが、「ネコは家につく」というように相良は嫌だったらしくスグにチャカは行方知れず、アウは裏道の魚屋の前で車にはねられてしまいました。

魚をゲットする習慣が仇をなしたという殺生の報いだったのでしょうか。

アウはイイ出会いではなくて災難に遭ったわけでもありました。

 

私ども人間の身勝手で居場所を変えさせられたことによりネコたちの運命を激変させてしまったこと、酷く後悔しまた以降ネコは家の中で飼おうと決めたのでした。

 

さて駿府宝台寺の西郷局の宝塔の脇に小さな燈籠が建っています。茶人としても著名な古田織部が駿府城内に納めたといいます。

このお寺に移築されたといいますが、切支丹灯ろうと呼ばれています。台部にマリアを彷彿とさせるレリーフがうかがえます。

禁教となったキリスト教を捨てなかった「ジュリアおたあ」が密かに拝んでいたものと伝わります。

 

「ジュリア」はキリシタンの洗礼名、「おたあ」は日本名です。本名は不詳。

切支丹大名でお馴染み小西行長(洗礼名=アウグスティヌス)が文禄の役の際、孤児となった?彼女を日本に連れ帰り、我が子として育てたそうです。

黒田孝高(官兵衛)家は目薬屋の出自と言われますが小西行長も薬屋出身、花房助兵衛と同様備前の宇喜多直家の配下でした。

 

彼は秀吉子飼いの加藤や福島には嫌われましたがこれは、石田三成と昵懇にしていたからなのでしょうね。加藤から「薬屋」などと嫌味を言われていたといいますが、加藤の出自も武士ではありませんからそのエピソードも説得力がありませんね。

武闘派では無く文人<薬屋風情>とバカにしたような話もありますが、朝鮮半島ではそれなりに暴れていますね。

 

石田の肩を持って西軍についたために関ヶ原(①屏風より 「白地に日の丸」は彼の印)のあと三成・安国寺恵瓊と六条河原で斬首され、その首は三条大橋にて晒されいます。

 

ジュリアおたあは小西家で大切に育てられていましたが、ここで再度無縁の世界に放り出されます。そこで家康が駿府に引っ張ってきたようですね。当初は身の回りの世話にと置いていたようですがこの娘も相当の美形だったそうで、家康が側室にしようとしますが、何と拒絶されてしまったようです。

恥をかかされたと思ったのか、禁教非改宗を咎として彼女を島流しにしてしまいます。天下人を袖にするなんて何という気概でしょうか。まぁ義父を討った張本人ではありますが。


舞台や演劇等折に触れて登場しますね。

サザンの『夢に消えたジュリア』なんていう曲もありました。