津波も怖いが土石流も・・三つの河川と坂井・片浜

私の住んでいる相良波津から落居・地頭方について記す頻度が高かったのですが、本日は萩間川を渡って東側。

大概は「片浜」といえば100%通じる場所ですが、古い呼び名?としてこれもよく耳にする呼び名「坂井」や「平田」もあります。

萩間川を渡って海老江の手前に平田寺さんがあってこの「平田」とも関係がありそう。片浜の漁港といえば「平田漁港」といいますね。

そして何と言っても「坂井」という地名とこちらの台地南淵に建つ瀧之宮神社の「瀧・滝」がくっついて「滝境城」を連想させる?というのも面白いところです(場所はここ)。

 

さて、先般地頭方新庄の「死人川」(しびとがわ)について記しましたが、もっともこれは俗称ですが、正式名称として風変りな名を持つ川が片浜にあります。

「ラムネ川」(地図⑨B)という小さな川ですが、国土交通省河川局所管で「津波・高潮防災ステーション管理規則」によって水門が設置されています。遠隔操作で開閉ができます。

近年付けられた名前であることは分かりますが、「昔ラムネ工場があった」、「水に炭酸が含まれている」などとまことしやかに伝わっています。

 

この水門より平田漁港側にも水門が設置された川がありますが、こちらが寺川(地図⑨A)です。勿論その「寺」とは釣徳寺さんですね。

釣徳寺さんの墓地の先でV字の川が合流しています。

そしてラムネ川より東側の川が法京川(地図⑨C)です。

読みは「ほっきょ」でこの名は地区の名称としても残っていますので「ラムネ」を挟む二つの川の名は昔からの名のようですね。ちなみに法京には水門は設置されていません。

 

さて、150号線を車で走っている際もその起伏はわかりますが、相良から150号を川崎(旧榛原町静波)方面に向かって片浜小学校方面に入る旧道を自転車で走ったことがある人には特にこの「登り降り」についてイラっと来た覚えのある方は多いことでしょう。この地区の生活が長い人だと思います。

 

橋の手前から登り坂になりトップが橋で再び降るとなるのです。そう大した坂ではありませんので、まぁどうってことは無いのですが、車の場合はスピードを出し過ぎると前方が不認のため、橋を抜けてスグに事故につながる場合も想定できます。

 

これがかの有名な「天井川」ですね。増水氾濫の経験から堤防を嵩上げし続けた挙句、交差する道路がそれに合わせて橋を架けるというものです。この理由は土砂の流出が多く堆積し、川底が上ってしまうということです。これは永遠にイタチごっこの呪縛に陥りますので、どこかで河川工事を行ってから「管理」という形にシフトして行かなくてはならなかったのです。

 

土石流と鉄砲水の恐怖も片浜は抱えているのでした。

寺川にはV字の合流点手前にそれぞれ土砂ダムがつくられています(画像⑬青線)。

これら舌状台地の崖面は樹木・竹林に覆われていて一見、堅固そうですが砂礫層で崩落は容易です。

比高は70m、台地上までは大した距離ではありませんので正月の数日はこの地区に通って崖に取り付いては、登攀したり降ったりして、運動不足を解消してきました。

各所で台地からの水が湧きだして、その砂礫層の脆さに拍車を掛けるが如くです。

 

何故にこちらへ?と問われれば「この3つの河川の上流には城址が二つある」からですね。新旧の滝境城です。

河川は城にとって兵糧搬出入の動脈ですから。こちらは海が眼前に広がるとはいえ、船を河川に引き込んでできるだけ城に近づけた方が利便性があがります。イザという場合の舟での脱出も視野に入れておくことも肝要ですね。

城の件は後回しにして、土砂崩れや鉄砲水系の自然災害の件では、釣徳寺さん管理の御堂、「大欠堂」について記さなくてはならないでしょう。

 

「大欠堂」(画像⑬dと⑭⑮)はいわば慰霊堂なのでした。

かつてあった土砂崩落によって人家が流されたそうですが、その土砂の上に建てたとのこと。

他所から嫁に来たという近所の方に聞きましたが、「そんな話は知らない」そうです。津波避難地についてもうかがいましたがそのお堂から斜面を上った場所。ちなみに御堂の標高は8m。

私もそちらから登ってみましたが平坦地は無く、斜面は急で台地に上れる道はありませんでした。

津波が起こるほどの地震でしたら地盤の崩落も予想できますし、其処へしか逃げられないとしたら少々問題ですね。

行政は手が回らないようで・・・

 

旧来の田沼街道はこの堂と崖の間を通る小道ですが、山側の家屋の崖側にはネットが張られているようですが、何とも心もとないものがあります(画像⑬赤線)。

 

①平田漁港側から見た寺川とラムネ川の水門。⑤⑥⑦が法京川に架かる旧道の橋。⑧の山が滝境城新です。その道を入って神社前の景色、東側旧田沼海道の法京川に架かる橋⑩⑪⑫。