めんどくさい変てこな歴史の誤解  服忌令

2015年の最初の新聞紙上、印象に残ったもの2点。

①日本の人口減少が8年連続だったということ

②宮内庁から発せられた今上天皇の新年の感想

でした。

 

①は厚労省発表の数字ですが、どんなに威勢のイイことを並べて大風呂敷を広げたとしてももはや「人がいない」じゃあ、お話になりませんね。昨年の「自然減」が26.8万人という現実です。

 

「出生数(100.1万)―死亡数(126.9万)」で死亡数超過がその26.8万人という数字で「自然減」になります。

ちなみに数字を並べてみれば

1973年の出生数は209.2万ですから、すでに50%、100万割れにリーチがかかったようです。婚姻数は64.9万組で戦後最小、2013年より1.2万減とのこと。

 

本当に独身者は私の周りに多いですよ。男だけでなく女性の独身者も殊に目立ちます。結婚というものは昔から「墓場」とも譬えられていましたが、コレは家庭を持った男のエゴイズムと余裕からの言葉。

今、婚姻を阻害しているのは「仕事と両親とのしがらみ(介護等)」の二つでしょうか。仕事に没頭して時間を無駄にして、年老いた両親の介護費用の算段と、実際の介護に時間を取られているようです。

結婚されたとしても少子化ですからね。昔は5~10人当たり前でしたし。

 

ヒマな坊さんがそういうことを言えばお叱りを受けそうですが、会社の為とか、社会の為、仕事の為も「人の為」の「偽」(人が為す)と同様、ムキになって没頭するものでは無いですね。ほどほどでいいように感じます。

 

親族の介護費用もこれからどんどん騰がる気配、仕舞には自身の終末対策費等の捻出に頭を悩ませて、私たちの社会はどちらに行きつくのか不安のみ。

寿命が伸びた分、「めでたい」ことではありますが、手放しでは喜べない事情がありました。

 

このまま人口が減り続ければ行く行く日本という国が無くなっても不思議はないですね。

地方の過疎地には人がまったくいなくなるでしょう。

ただごちゃごちゃなのは東京だけ。

 

②今年は戦後70年。新たな想いで人々はその数字を口にし、各所でその歴史を顧みて反省するというテーマが与えられた年でもあります。

今朝の新聞紙上に発せられたその言葉にはことにその「反省」について強くその意思を感じることができました。

抜粋すれば、

 

『本年は終戦から70年という節目の年に当たります。

多くの人々が亡くなった戦争でした。

各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。

この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。』

 

このメッセージは、やはり今の国政と社会の風潮への危惧を示唆しているように感じます。その言葉の前にはフクシマの人々の苦労にも触れていました。

要は「我々は歴史を学んでいない、反省していない」姿を晒しているということです。今、客観的に物事を俯瞰できる方は案外そちらなのかも知れません。

 

さて、標記「服忌令」(ぶっきりょう)ほど今の私たちを、時として過去の亡霊の如く現われては翻弄させる「法令」はないとの思いがするのも毎度正月のパターンです。

 

昨年は父である前住職が「帰浄」しました。真宗では「忌中」ではなく「帰浄・還浄」がオーソドックスな呼び方ですね。

ということはよく、正月元旦の挨拶状―これも個人的には省略してもいいだろうと思える習慣ですが・・・―年賀状についてそれを「しない」というメッセージを予め郵便で知らせるというものを見受けます。まず大抵その手のものは12月初旬には届いています。檀家さんの新年のご挨拶が続きますがそれについてさえ、「挨拶に行ってよいものか」悩む方もいらしたようです。

それが服忌令の名残というヤツですね。


これは明治7年の太政官布告が元ですが、江戸時代、綱吉の時代に制定されたものをそのまま引っ張り出したもので、もともと公家や武家の習わし。

明治6年のカレンダー(大陰暦→太陽暦)の国民総スカンとなった突然変更、明治初年頃からの廃仏毀釈といい他のその頃に欧米化に同調してあるいは勝手に解釈されて出された無茶ともいえる法令・・・「女子断髪禁止令」等々・・・のうちの一つです。

 

要は「近親者の死に際して喪に服すべき期間を定めた法」です。勿論、そんなものは昭和22年にとっくに廃止されているのですが、何故かずっとその習わしに私たちはひっぱられ続けられているようです。


他家がそのようにやっている、親戚に背中を圧されて、葬儀社、郵便局等で奨められたという半ば強制観念に捉われているという傾向があるようです。流されやすい日本人らしさであるといえばそんなものでしょうかね。

 

この「服忌令」、そもそも神道系の考え方で、「死=ケガレ、汚いモノ」から来ているようです。陰陽道や道教なども起源がありそうですが朝鮮半島あたりでもよくそのお話(喪に服する)は聞いた覚えがあります。

 

父親は榛原中時代、父の祖母が亡くなったあとスグ、どちらかの神社の鳥居の下を通過しようとした際に、軍事教練の教官から禁忌を強制、通行拒絶されたことにずっと腹を立てていましたね。

 

家族うち(近親者)に死人が出た家の住人にはそのケガレにより色々と社会的なシバリがあったのでした。

まるで現在のエボラ出血熱の隔離者の如くです。

そういった根拠レスの迷信というのがこの「年賀状出しません」のシバリでした。

 

ということで真宗には「物忌」の概念、死をケガレとする考えは一切皆無ですのその手のことはお構いなし。勿論、年賀の挨拶など当然アリです。

もっとも私は「おめでとう」という言葉もそもそも、正月の「一里塚」との思いはありますので使いませんが。

昨年のお世話になった御礼とともに「今年もよろしくお願いします」の一言であります。

 

さてついでですのでその太政官令「服忌令」から転機すれば、

 

父母の死は忌中50日喪13ケ月 子が服する

祖父母の死は忌中30日喪150日 子が服する

 

面白いのは

夫の死に妻が服する忌中30日喪13ケ月に対して

妻の死に夫が服する忌中20日喪90日

母方の祖父母の死は忌中20日喪90日

妻の父母の死には夫のシバリ無し

と女性の扱いが男より低いという点ですね。まったくテキトーなヤツがテキトーに記した数字以外の何ものでもありません。

 

そして今のシバリ(「年賀欠礼」)は家が対象であってアケが1月1日のような感覚。何より他の事以外は私たちは全然忌中でも服喪でもない社会生活を送って楽と笑を一筋の楽しみとして生きている中、その死を理由にして賀状はもとより、めんどくさいお付き合いの出席不可の理由を探してそれを主張することが、矛盾であり如何に根拠のない馬鹿げたことを理由にしているか・・・、案外恥ずかしいことを公然と自ら知らせているということをそろそろ一旦考えた方がいいかも知れません。

寺としても少しづつこの件は皆様方にお知らせしていかなくてはならないと思っています。

 

②は葉を落とす針葉樹メタセコイア、樹形は例の樅にも似ています。③常緑の熱帯系ガジュマル、寒耐性ができました。

境内の対照的な図です。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    覚敏 (金曜日, 14 9月 2018 11:21)

    全て 同感 啓発に頑張りましょう

  • #2

    今井一光 (金曜日, 14 9月 2018 11:50)

    覚敏様
    ありがとうございます。
    不意不満ばかり並べ立てていますがどうぞよろしくお願いいたします。