「樅の木は残った」など口にする人  既に歴史

そういえば選挙のおかげで「官兵衛」は一週間先延ばしになっていましたね。

最終回(関ヶ原)は姿勢を正してつまらぬテロップなど入らない環境で拝見しましたのでそれは良かったと思いますが、本編の関ヶ原の方はアッサリ系で今一つでした。

まぁ焦点がボケてしまいますから致し方ないところでしょう。

 

ちなみにこれまでも何度かグチっていますが来年の大河ドラマは私の興味の外ですので当分日曜の夜の拘束からは解放。

江戸末期から明治以降のお話は(新撰組は除く)どうもダメですね。まぁ「明治維新」という言葉に嫌悪を感じるだけですが。

 

ブランクは1年となります。

NHKさんにも大河ドラマ企画としてそれに相応しいものかどうかという無言の提言として戦国ファンとしてはチャンネルを合わせないのみでなく、協会が一番に気に掛ける視聴率というものが例の「平清盛の最低」を更に更新すべく、期待してしまうほどです。とても「嫌な奴」ですね、ごめんなさい。

 

テレビ週一の微かな楽しみの復活は2016年の「真田丸」までですね。戦国大河でも再び現場は大坂城周辺で個人的には今一つ盛り上がりに欠けます。

内容を想像するに「真田丸」と言えば大坂の陣。真田信繁が築いた大坂城出丸を中心に話は進むのでしょう。短い時間でのみ存在した拠点ですので、その場所を中心に描くとすればこれまでの大河とは少し違ってくるのかも知れません。

 

家康が敵役になるのでしょうが、それまでお預けです。

これらのことも「私が無事であったら」ということが前提ですが・・・。

 

標記はかつてあったNHK大河ドラマのタイトル名です。

ただしこの名は、私にとって結構うんざりの覚え。

原作は山本周五郎で、大河のでは1970年放映ですが、それ以前から書籍も多く読まれ、舞台などでも演じられた時代劇です。放映されれば必ず当時のベストな俳優の配役がされるほどの名だたる劇ですね。

 

今となってはお話の内容は知れ渡っていますが、そのテレビ放映の頃の私といえば、そんなお話には一切興味を覚えず、まったく「意味不明な時代劇」のイメージです。家に居てその時間の到来はまったくの苦痛であったことのみしか覚えがありません。

 

「視た覚え」がある頃というのは1976年の「風と雲と虹と」あたりを待たなくてはなりませんね。

もっともそれは全篇視聴完遂したのはDVDレンタルが出てからですが。

 

さて「樅(もみ)ノ木は残った」の時代は幕府が「ボロを出したら即御取潰し」しようと各藩に対してその監視の目を厳しく及ぼしていた時代です。

テーマは仙台藩伊達家家中で起こった内紛で、それを題材にした小説です。

江戸初期ということもあって幕政の確立はあったものの地方各藩ではこれまでの武闘派の伝統を引き継ぐ者、「御家」大切忠誠を尽くす者、藩政経世に注進する者、それぞれのグループの意見が交錯し、都合のいい藩主を求めて下層から中間層が主体的意見をまとめようと時に陰謀・暗躍するなど、まだまだすべてにおいて、未熟な時代でもありました。また、今考えれば絶対にその力は働いていたと思いますが、伊達家と言えば「有力外様大名」です。加藤家、福島家同等、いつかは「潰す」という意向は幕府内にはあったはずですね。

 

お話のメインたる場所は江戸城真ん前にあった老中酒井雅楽頭(酒井忠清)邸でとり行われた評定の席での刃傷沙汰です。

すべてがそのエンディングに導くための付加的な誘導装置的ストーリーであるということは四十七士の討ち入りと同様です。

 

内容については各自お調べいただくとして、この殺傷事件の現場がこちらの墓域にありました。

平将門の首塚敷地内にその案内板①は立っています。

この地は将門だけでなく伊達騒動での因縁も抱える地でもあったのでした。

 

ちなみに「樅の木」は主役の原田甲斐という人の生き方というか孤高の精神の象徴で、原田甲斐もその一本の木を眺めて思索し行動したというのが原作者の趣旨でしょう。

 

②は松島は瑞巌寺の隣、天隣院のハリモミの大木。院号の天麟院

は伊達政宗の長女、五六八姫の墓所。彼女の廟の脇に直立しています。

樅系はクリスマスツリー型の樹形で葉の先端が針の如くになっています。

拙寺本堂の北側に樅類に似た「トウヒ」がありますのでこちらも紹介③④。

 

横浜時代に購入した幼木を植えたもので、ようやくここまで育ちました。条件さえ良ければ数百年、樹高50mの高木となるはずです。

丁度当家仏間から西方を向けばこの木が目に入るようになっています。当家では息たえた時この仏間に休むことになっています。

 

津波が来て「樅の木は残った」のではシャレにもなりませんが。