こちらに法然さんが訪れていた 応声教院

盆・正月の休日期間の関西中部方面を放浪の帰り途、「奥の墓道」をまず彼の実家へ送り届けます。

最近では東名牧之原インターまで走ってバイパスを使って御前崎方面へ向かいますが、以前は高速代をケチって掛川インターで降りていました。

市街地を走り適度に信号機につかまる後者は長距離を走って早く自宅に帰りたいとはやる心にはこたえます。

黙って牧之原まで出てバイパスを一気に南下すればあっという間に御前崎ですから・・・。


さて、掛川から御前崎に向かう途上中には大澤寺の前身の本楽寺があった平尾(内田屋敷鬼門方向)がありますが、その地より掛川寄りの地に著名な古刹があります。

旧天台系(天岳院―855年)が発祥の「応声教院」(浄土宗)です

(場所はここ)。

池新田の桜ケ池の大元の伝承に付け加えられるが如くの伝承があって、法然さんが桜ケ池に入ったと言われる皇円阿闍梨さんのお参りの帰りにこちらのお寺に寄って行ったといいます。

その際に浄土宗への改宗があったと考えるのが普通でしょうね。


その名の「応声」とは「我等の念仏の声に応える」という意でしょう。御本尊は阿弥陀如来ですね。

ということで「皇円阿闍梨菩提所、桜ヶ池奥ノ院」とも呼ばれているそうです。


こちらの山門は、寛永三(1626)に駿河の宝台院の大門として家光が母親の供養のために造らせたと言われますが近年になってこちらに移築されたとのこと。威容を誇る山門は中遠一と。


建築奉行に「門奈助右衛門」という名があります。

この人らしき人の名は各所で散見しますが、私としてはその名を見て一番に姉川七本槍の門奈左近右衛門を思い出します。

ここは慎重に紐解くべき課題が一つ増えました。