獅子ケ鼻砦  獅子の鼻っ先に見えないこともない

この時期は、夏草は枯れ、藪の中の探索にはうってつけです。

遠州辺りの平地の人里の山というか舌状台地上の人の入らない竹林地帯など深い山奥でなくとも夏場など足を踏み入れる気も起こりませんが、今は絶好のタイミングです。

襲ってきそうな害獣といえばせいぜいイノシシくらいですね。

 

高天神城周辺にある家康が築かせた六砦の一つ、獅子ケ鼻砦は市街地の平坦部にある遺構です。 

獅子ケ鼻砦は現在の蓮池公園を谷あいにした2つ(画像1と2)の丘陵の事を言うと思います。1の方の登城口(グラウンドの北、白い建物「小菊荘」裏)のみに看板が立っていますがこちらには旧アスレチック場があった山で頂上付近はかなり削平されて遺構らしい雰囲気はありません。⑥⑦⑪

 

地図上の場所はこちらになりますが、牧之原台地の西端の塩買坂からは真西にあたり⑧⑨、高天神を攻めるにはこの砦は眼前の佐束川と菊川の合流地点ともなってこの付近の渡河は難しかったのかと思われます。相良方面から生仁場(しょうじば)という橋を渡りますが突き当りが獅子ケ鼻砦。街道を右にでも左にでも曲がって高天神周辺の各遺構を訪ねることとなります。


本格的な砦としての造作は家康の時代ですが、信玄や勝頼の高天神城攻めの際には2度とも塩買坂を経由して台地を降りるや川沿いに南下し(遠回りして)国安付近にて渡河していますのでここにはなんらかの防御施設があって東からの進軍を阻止していたのでしょう。

 

信玄は、「城の雰囲気」を見てまた肌で感じ進軍を考える傾向にあったためもしかするとこの砦の名の通り、勇壮な獅子の双頭に砦を構えた様子を見て敬遠したのかも知れません。

 

私は数度に渡ってこの砦付近を散策していますが、やはりアスレチック場では無い方(2の方)に興味があって2シーズン2回冬場に散策しています。まぁ近場ですから行こうと思えばスグですがね。

冬であっても足元は少々難儀しますが1の方とは違って土塁らしき段差、堀切、虎口を想像できるような、自然のカタチではないと思える箇所を目にする事ができます。⑭⑮

 

殆ど「こじつけ」と、「奥の墓道」は聞こうとしませんでしたが、この二つの段丘の形は「獅子の鼻」の如くに見えてなりません。まぁ獅子というか龍の感じでしょうか。特に2の方は惚れ惚れしますね。

②③は菊川佐束川に掛かる生仁場橋手前からの2の丘陵です。

③は南西からの図ですが、その雰囲気はかなり出ています。