小生お東も方角は「西」が好き 西教寺五輪塔

震度6弱と聞いて驚きました。

長野県の当地域の皆様、大丈夫だったでしょうか。

相良でもあの揺れを感じ、火の元を断ってから本堂に走りました。瓔珞が不気味に振り子の如く振れていました。

その震度(6.5d弱)は私が一生のうち味わった中で最悪の思いをしたあの駿河湾沖の地震の震度と同じです。相良は震度3とのことでした。本当に「嫌な感じ」でした。

被害状況が夜間で把握出来ていないようですが、できるだけ軽めでお願いしたいところですね。

 

さて、昨日西教寺についてサラっと触れましたので思い出したようにそちらの気になっていた五輪塔について記します。

大型のものとしては近江最古~正安二年(1300)~といわれる五個荘の「金堂・馬場の五輪塔」にも匹敵するインパクトあるものです。

五箇荘の五輪塔と比べて「水輪」の球体部分は一回り大きめでより凛々しい御姿です。無銘ではあるものの時代はやはり鎌倉期で、境内では最古の類だとのこと。

 

違いについてさらに記せば五箇荘の五輪塔は人の目に触れやすい平坦な街区にあってむしろそれが唐突の感となりますが、西教寺のそれは木々に覆われた山の斜面に佇むという感あって特にそれらしさ、趣があります。

そちらから西教寺さんの斜面に広がる墓園の最上部に繋がる山道がありますが、その道端には小型の五輪塔がそこここに配されて、私たちをお迎えしていただけます。

 

その道を登り切って開けた墓園にはスグに到着します。

一番最初に目につくのがこちら、真宗高田派十世で高田派中興上人と呼ばれる「真慧上人」の五輪塔です。

上記の大型の鎌倉期のものと言われる五輪塔を上人のものと間違える方がいらっしゃるようですが、下方に掲げられた掲示板を見ての誤解でしょうね。

以前山中長俊の掲示板についても触れましたが「早とちり」するとおかしなことになってしまいます。

 

「真慧上人」は高田派で、開祖は私ども東西本願寺と同様、親鸞聖人です。

関東活動時の親鸞さんの弟子の「真仏」という人の開祖で栃木県真岡市の高田にある専修寺が発祥で現在の本山は津市の専修寺になります。

今の真宗系の流れは多々ありますが、その「真仏」から多くが分派しています。

 

高田派宗旨としては蓮如上人以前では本願寺系よりも信徒数は多かったと言いますね。

蓮如さんが出て逆転現象が起こるとその宗派はとことん本願寺や一向一揆との反対勢力に加担して戦っています。同じ宗祖を持ちながら時々の勢力図と利害にのっとって殺し合いをしてきたという過去の寂しい歴史がありました。

 

「真慧上人」は高田を出て諸国教化の道を歩み比叡山にあがってその際こちら坂本に滞留したそうです。時代は蓮如さんと同時代で蓮如さんの活動域とも同じ、かなりライバル視していた感がうかがえます。