武佐から鏡山、道が混むのが難点 閉口 鏡神社

当山開祖の今井権七はもともと近江安土、武佐の広済寺の門徒だったといいます。

信長が桶狭間で今川義元を討取ってからその触手を京都方面に向けつつある頃、近江の地を捨てて遠江に新天地を求め東海道を下りました。

 

浄了という法名を名のり、叔父さんの祐寿を誘って遠江城飼郡(菊川)で本樂寺を開いたまでは良かったものの、信長の攻勢に対して石山本願寺の顕如は全国門徒に徹底抗戦の檄を飛ばし、それに応じて大坂に入ったというのが、相良大沢に大澤寺が移る前のお話です。

 

廣済寺さんがある武佐という場所は現在は滋賀県近江八幡市になりますが(場所はここ)、かつての中山道の宿場町です。

かつて廣済寺さんにお邪魔したした際はつい最近(2010年)まであって火災焼失にあった老舗の旅館「中村屋」が惜しまれるというお話がありました。

長刀を振り回せないように作られた低い天井の居間や、階段を可動式として就寝時には縄ではねあげて賊等が上れないようにするような工夫が施されたかつての宿場町に並んでいた旅籠で滋賀県内に唯一現役で残っていたそうです。

 

そのように古くて興味のひく場所や遺構が各所に残る近江でもこの武佐周辺には他所とひけをとらないくらい私を唸らせる場所が存在しています。

 

武佐から野洲方向に国道8号線を走らすと「鏡」(かがみ)という変わった名の地があることを「鏡口」という交差点の標識によって知ることができます。

その先の左側にある「道の駅」の左前方が「鏡山」で道の駅の手前右側にあるのが鏡神社。

あいにく私が立ち寄ったのは開店前でしたのできっとお昼頃にこちらに入れば昼食やら付近の散策で半日近くは遊べると思います。車はこちらの大きな駐車場に置けばまったくOKですね。


鏡神社は牛若丸―稚児名を「遮那王」しゃなおう―が元服して義経を名のった地で、鏡山は古くから万葉歌人が好んで歌った地でもあります。

1174年15歳の時、鞍馬寺を抜け出し奥州藤原秀衡を頼って平泉に下る途中、この鏡にて元服をしたと言われています(平治物語)。


鏡の地はやはり新羅系渡来人の須恵器製作集団が居たというところも源氏発祥が渡来人系であるという臭いがしてきますね。


①③のバックが鏡山。②は神社前から道の駅方面の図。

③④は謡曲「烏帽子折」(牛若丸が鏡の里の烏帽子折の家で元服、夜盗の熊坂長範を退治するお話)の伝承。

⑤⑥鏡神社本殿は重文指定で境内には源氏といえば・・・の八幡神社⑨が・・・

⑪⑫義経元服の池はまさに国道沿い。道の駅駐車場出入り口の向かいにあります。