これからのテーマは「こ・ど・も」 大雪山からの便り 

本山系のアンケートで、「子供をお寺に集める企画は何かありますか?」というものがありました。

知らないうちに締切期限が来てしまい、返信せずじまいでしたが、当然の如く当山もできるだけその線を心掛けようと思考しています。

 

当地子供たちの「聖地」でもある、昔ながらの駄菓子屋さんが檀家さんにあるということもあり、その協力を得ることができます。そちらで報恩講1か月前程度からクジ引き無料券を配りまくって当日の「お遊び」に誘導しました。婦人部世話人の有志が店長となって「板店を経営」というところです。

 

このことによって境内に子供の声が戻るという算段ですね。

かといってこれで檀家さんが増えるなどということはまったく考えていません。

ポイントは本山と同様、子供のうちから「少しでもお寺の境内に気軽に足を向けてもらえる習慣をつけてもらえば」ということです。寺が以前の如く人や社会への「楔」としての機能を取り戻すべく、試行するものの一つです。

 

昔は寺で遊び、父母や祖父に連れた来られれば本堂に入って本尊や墓前で父たちが頭を下げるその背中を見せつけられ、それらを見て成長し、祖父母、両親の死を見届け、自分もその道を歩んでいくのだと思量が回る中、謙虚さや報謝の気持ちを同時に芽生えさせていったものです。

 

そして昨今は物事への感謝の気持ちや反省の無い「自分教」の如くの無宗教的横暴さも蔓延って、意味不明で不可解な社会を形成しているようにも感じます。そのことみに限りませんがそれはやはり思うに、「仏」への崇敬が無くなってしまったからであるような気がします。

 

最近では「子供たちに迷惑をかけたくない」ので、「死んだら海に遺骨を流して」という方も増えていますね。

しかし、その子供たちは身近なところに「仏」を感じる事も無く、さらにその子供たちへ「その背中」を見せつける機会をも失ってしまうということとなってしまいます。

行き過ぎた「自分の始末」は案外と子供たちに対して人間個々のマイナスの作用が働くこともあるのではないかと思っています。

 

⑤は今年のイベントの花形、尺八奏者の縄巻さん。

縄巻さんの演奏は報恩講寺楽市をより一層盛り立ててくださいました。これだけの種類の尺八を手元に並べ、曲によって使い分けていました。

檀家さん以外の方もちらほら、大成功の報恩講でした。すべて皆さまのおかげです。

⑥はご近所の名物わんちゃん。両後ろ脚が無いという不遇です。飼い主が特製台車をこしらえて近所を散策している姿を目にしますが、この日は尺八を聞きに来てくださいました。

 

⑦⑧は北海道からのお便りを仏前にお供えしてのショット。

たくさんのいただきものをしましたから、これから少しずつお味見させていただきます。ありがとうございました。

息子が「早く使わせろ」と騒いだのは、旭川産有機トマトと唐辛子で作った「トマスコ」。あ奴は辛いモノ好きです。

 

シャレていると思ったのは「豆寺行」・・・「豆にお寺に行こう」という旭川別院キャッチフレーズ付き豆菓子です。コレはいただきのコピーです。結構有名な豆店ですね。

 

やはり寺にはできれば家族で行くこと、子供に「背中を見せる」ことは大切ですね。

そこで「自分にはどうにもならない」ことがあるということを感じ、「他」に向かって至心懺悔・報恩感謝する姿勢を子たちに見せるまたは、そう仕向け、感じさせることが不可欠に思います。今こそ「他力」の時代と言っていいのかとも思います。