時代劇ではきまってサイコな悪役 由比正雪

静岡市内の寺院は区画整理で移動させられた寺が多く、 「静岡市共葬墓地愛宕霊園」周辺にはそれら引っ越してきたお寺が「新寺町」を形成しています。

「愛宕」という地名の通り、駿府城から見て北東(鬼門)、愛宕山城や「寿桂尼」の菩提寺である竜雲寺さんのある方角となります。

 

 特に高天神斉藤(斎藤)宗林の墓がある宗林寺さんの並びに「由比正雪の乱」でお馴染み、由比正雪の首塚があります(場所はここ)。

もっとも当初の墓地と境内地は前述の通り、旧寺町にありましたので、現在の様子は移転(昭和21年)後のものになります。

旧寺町にあったのも家康の命(駿府城域)で移されてきたものといいます。

 

 

 慶長十五(1610)年、駿河宮ケ崎(「宮」とは浅間神社周辺)で生まれた由比正雪が安定期に入った江戸幕府に冷や水を浴びせた事件でした。

平和を好まない、かつ戦争を知らない武士、不穏勢力が、当時軍事専門家として頭角を現し人気を集めた由比正雪を旗頭に一旗あげようとしたものです。

 

 これは慶安四(1651)年、江戸幕府改革のため、慶安の変(由比正雪の乱)と呼ばれるものです。結局タレこみから未然に露見してしまい、梅屋町の旅籠、梅屋に包囲され仲間と自刃したといいます。

安倍川の河原で斬首された首は獄門台の上に晒されたのですが、縁者の女性が盗み出し、こちらの菩提樹院に葬ったそうです。

獄門台の首を盗むという談は日本左衛門と同様です。