風変りな墓石 故人の過去に思いを寄せる

お斎にご招待されて不思議に思う事。

同席する御一同様に私について不思議に思われている事は一滴も酒を口にしないことでしょう。

「その様に見えない」「本当は家でコッソリ晩酌をしているのでしょ?」などと追及する声もありますが、元々「飲めない」ということを「説明」して「ご理解」いただいております。

 

 余談ですが、寺に入って8年。毎年尿酸値が上り続け、ついに今年の夏に8.5。コレ完全に異常値で数字から言えば殆どビョーキ。

だれが見ても相当の飲んだくれか大食漢をイメージするという数字です。どちらかといえば私の場合は食生活よりも現環境の不適合なのかも知れません。まぁ今回の「結石」もその「8.5」が原因であることは間違いないところですね。

 

 それでは私の不思議に思う事。その手の席で用意されているビール等のアルコール類以外の飲料水を所望するとすればまず間違いなく「烏龍茶」が出てきます。別に最初から熱い茶だけで構わないのですが、「烏龍茶」なのです。

疑問は2点。

①ここはお茶所静岡なのに緑茶ではなくて「烏龍茶」。

②心が狭いとご指摘を受けましょうが、最近「緑茶、日本茶は発祥が中国である」とまでキャンペーンを行うお国の産品「烏龍茶」。

 

 別に烏龍茶は何の気無しに「うまくも無くマズくもなく」当たり障りなく水の様に喉を潤す飲み物としては最適です。

しかし上記の理由から我等静岡人はもっと静岡茶を意識して消費するよう努力することは特に必要だと思います。

飲食店が先導しておいしい牧之原茶を率先して使用し宣伝すべきですね。

 

 さて、山中城について何度か記しています(2014.2/1213・17 )が、山中城跡を突き抜ける様に走る国道1号線を旧街道に入った初っ端に「相当の飲んだくれ」を推察できる人の墓が建っています。

こちらは以前撮影した画像ですが、国道はカーブだらけのうえ大型車や高速走行車が突っ走る道ですので、このお墓詣りは十分にご注意して横断されますよう(場所はここ)。

 

 この盃と徳利のレリーフが描かれた墓は通称「雲助の墓」「雲助徳利の墓」と呼ばれていますが「久四郎」の名が示されていることが確認されています。

名は「松谷久四郎」出自は西国の某大名家の剣術指南役とのこと。酒でハメを外して国外退去処分、この箱根にて雲助稼業に就いたとのこと。

 

 腕に覚えはあり、字も読めるという久四郎は雲助仲間から知らずのうちに慕われるようになったそうです。

大酒のみの故に体を壊して亡くなったとのことですが、その死を悼み、受けた恩を返そうと雲助たちが彼の墓を建てたらこうなったということです。