静岡県屈指の山城 山中城は山の中

かつて小田原と相良、約150kmを頻繁に往復していた私にとってこちらのお城はごく親しみ深い城ですね。

東名高速使用の距離を少なくするか、まったく使わずに高速代を節約するかの選択で、この山中城前を通過するルート以外は殆ど考えられません。以前の土曜の深夜などは「走り屋」の独壇場となってある意味賑やかな(サーキット場の如く)場所でしたが、今の様子はわかりません。

 小田原市内から西に行く場合、東名大井松田インターなどの使用など遠回りになってしまいますので考えられません。

 

 今ですと、以前の様に三島の市内を走ってから東名沼津に入るコースは使わずとも伊豆縦貫自動車道が混雑する三島市内に入る前の山麓から東名に直結していますので格段に便利になりました。

ちなみについ先日、伊豆縦貫自動車道の延伸が完成してこの山の麓からさらに修善寺方面へ行くのも便利になりました(場所はここ)。

 

 東海道を取り込むようにして、逆に言えば東海道はこの城の縄張りを突き抜けるようにして走っています。

子供の頃からこちらを通過する際、「山の中にあるから山中城とはふざけた名前だ」とは毎度思っていましたが、標高も他の「山城」を標榜する県内の城を凌駕するほどの高さ580mを誇っています。

  山城の高さの概念は「比高」という考え方を加味しますが、殆どその「標高」と同じような高さですね。私は高校時代に自転車でこの前を通過しましたが、さすがに自動車利用が一番です(一応バスも走っていますが・・・不便です)。

 

 この城の素晴らしさは遺構とその復元。

北条氏特有の畝堀(うねぼり)や障子堀等整備管理の姿勢です。

遺構を崩落から残すために芝等の根を張り巡らせているためにどうしても管理を十分に行わないと見苦しく荒れてしまいます。

本当にこちらの各遺構は一見の価値がありますね。

 

 三島市の並々ならぬ気持ちが現われていて、特に夏期の花々の美しい季節には常時、植栽管理の人が入っている様です。

あの広大な縄張りに客を招くためのものですが、直接金銭の投下を期待できる施設ではなく、言ってみれば「公園管理」。市政の余裕ですね。

 

 この城の実戦としては秀吉そのものの出陣があって秀次以下蒼々たる顔ぶれが集結し、相手としては超一流、申し分が無いのですが、あまりの力の差、それもお話にならないくらいの超大軍(約7万)を相手に対する4000~5000人の守備ではあのすばらしい畝堀ほか防御施設も役に立たなかったのでしょう。

1日も持たずにこの城の守備陣は一蹴され、為すすべなく小田原本城はほとんど無防備状態になっていきます。

 

 四代北条氏政は信長には恭順の姿勢を示していたものの、家督存続の機会はいくらでもあったのですが秀吉を甘く見過ぎそして優柔不断に結論を先送りしたため、最悪の結果を招くことになりました。

 

 この城が天然の要害を利すること無く改修が中途半端になったのも戦うのか、従うのかのの選択の誤りによるものでした。

しかし、あの広範囲に渡る山域での戦力的大差ではどちらにしろ結果は決まっていたでしょう。時間はかかりますが正面から取りつかず迂回して背後に回り込んで攻めれば攻方の被害もより少なかったでしょう。

 

晴れ渡っていれば駿河湾も富士山も見えるはずですが・・・。

また今度寄ってみます。