ややこしい験担ぎに語呂合わせ 皆さんお疲れです

余裕が相当有り余っているからなのだと思いますが、世の中にはややこしいことを考える人が意外にいらっしゃるそうですね。

何がそうかといえば数字の語呂合わせをして縁起がイイ悪いを真面目にクレームするといいます。

 

 電話番号や暗証番号、歴史事件の西暦等を覚えやすくするため、語呂合わせをしたり、「音」が同じようなものの語呂を真似て洒落たりしますが、コレはかなりの主観もあります。感じ方の違いもありますし、何より全く根拠のないお遊びであるということ。

 

 今、少々話題になっているのが兵庫県内のある病院に向かうバスのナンバープレートが「42-××」であることに「縁起が悪い」との指摘が少なからず上っていて関係者一同は困っているというお話です。

 たまたま13台のバス登録が42で始まる番号となったそうですが、病院に通院しているのに「死に」(42)とは「気分が悪いではないか!!」とのクレーム。

まるで、私が死ぬのは「あんたのせい」と言わんばかりですね。

 

 語呂合わせはお遊び、「かつ丼やカツカレー」を勝負に挑む双方が験を担いで食べたとしてもどちらかは必ず「負け」ることになる事は必定。

先日の「一条戻橋」の験担ぎも、橋を渡ったとしても戦地から帰らない人は多くいましたし、渡らなくても離縁した夫婦はいくらでもいます。

 

 気持ちは分かりますが、つまらぬ労力は他に回しましょう。

特に「生老病死」に関しては皆人が生まれながらに背負っている試練というべきテーマです。「みんなおんなじ」ですね。

自分だけ避けたいという気持ちはいたって普通ですが、それらから何もなく逃れようと思うのは少々虫が良すぎますね。

その根拠が語呂合わせ、縁起担ぎから来るものであるならば尚更です。

 

 いいのですよ、やれることだけやり遂げて、後は何でもかんでも、おまかせして、まな板の上にひっくり返っていれば・・・。

ド~ンとバスに載せてもらってください。

また、そのような「弱い気持ちや怒り」に対して病魔は狙いを定めていますよ。

偶然に因縁をこじつけるのもお遊び範囲で許容できること。

それを超えて頭を悩ますのもひとつの「病み」となります。

 

 画像は昨日京都より到着の修理完成した数珠たち。

法事で数珠が切れると施主によっては「不吉では?」と問われることがありますが、私は一笑に附して「数珠の糸は消耗品、よく切れます」と。どうしても、おっちょこちょいですからどこかに引っかけて切ってしまうこともあります。


  今回の京都行で本山前の数珠屋さんにまとめて五輪ほど修理に出していました。

1つくらいでしたら通常はその場で修理してもらえますが、その日は職人が居ないことと、数が多いということで、着払いで送っていただくということに。折角現場に行ったのに送料が余計な出費となりました。

何点か玉の欠落もありましたが無事、新品の様になって帰ってきました。

ピシっと締まった数珠は気持ちいいモノです。

 

ケヤキに取りつくクマゼミ謳歌の図。予報は雨系だったにもかかわらず、相良は晴れ。