11号のうねりが入る駿河湾、午後から日没直前までただ海を見ていました。
元の地頭方中学校跡地ですとすでに山側にあがっている辺りですが、いつかこの「街道」周囲の丘陵、尾根を探索してみたいものです。
小山砦―滝堺城―相良と進み海岸から山に上がるこの辺りに城とは言わないものの烽火(狼煙)台等を持つ砦的詰所などの施設があっても不思議ではありませんね。
さて、昨晩の午前様は当家の上空をヘリコプターが飛び交って何やら尋常ではないことはわかっておりましたが、朝起きてその理由が分かりました。
この季節で真昼間にヘリが飛べば保安庁系のものが主で「海で何かあった」ことは推測できますが、今回の始まりは深夜でした。
朝から地方版・全国版ともに各局流されていた2人の若者不明のニュース。
憔悴しきった親族の姿を画面で見て、またかすかでも望みを捨てない父親らしき人の談を聞き、「これは」と思って、まったく私が少しの役にも立つとは思いません、いや何もできないでしょうし、また自己満足的とも考えましたが、地頭方処理場への花ガラ搬入の帰り途、双眼鏡を持って海(落居)に向かったというわけです。
さしあたってしなくてはならぬ急ぎの仕事も無く、家の涼しい場所で無駄に時間を過ごしている姿を晒しているより気持ち的にも本堂の御本尊に自身の体たらくの言い訳ができるというものです。
そもそも私は海に「ただ居る」ことに何らの苦痛も感じませんし、むしろそのへんのところは私の得意分野でもあります。
そしてこの日は一つの時間的ポイントでもあります。
流されて12時間過ぎてもはやタイムリミットです。
台風の北上にともないこれから海はさらに荒れてきて、捜索どころでは無くなりますし。
何より、消息不明者は私の息子と同年代の若者であり、遠方から来られてたまたま当地に滞在していたといいます。
彼らの親族友人が海岸に集まっているそうですが、取るものも取らず深夜駆け付けたのでしょう。そのこと色々なシーンが思い浮かびます。
何の気なしにとった電話の向こうから伝えられる非日常。
苦痛と心配をおし殺して慌てて駆け付けた家族縁者はおそらく眠ることもできなかったでしょう。
そして眼前に広がるは人を寄せつけずに荒くれる海。
この彼らの悶絶の思いを人の事とは思わず、我が身の事として、また、ご縁で牧之原に来てくれたことへの感謝、こういう形になってしまって(仕方がないのだけれど)「すまない」という思いが私の肩を押します。
何と言っても遭難の現場が当山と目と鼻の先(150号波津交差点から御前崎より)でもありますから。
現場周辺は消防警察関係のお仕事。駿河湾は南の風、流れは東よりになります。
よって通常なら現場より海水浴場側がポイントでしょうが、まったくこの辺りの海流は意表をつきます。
以前、同様の件が起こった際、見つかったのは地頭方港でした。
あの時は「奥の墓道」と地頭方のいつもの東端で探しました。
この海の海岸にはテトラポットが敷設されていますので早いうちにこの内側をダイビングで探してあげればいいのですが、そこまではやらないのでしょうね(ダイバー出てたらごめんなさい)。
うねりが入っていますので熟練が必要ですが、ジェットスキーとペアでのシステムがあればシュノーケルでも問題ないと思いますが・・・。ジェット単体で海面からの捜索はあるようですが、海中の中はうまく確認できませんからね。それから地頭方港近くで遊んでいるジェットがありましたが、ジェットはレスキューにもってこいのグッズです。
捜索に協力してもらうというかこういうことはえてして「公」の方で拒絶するのでしょうね。
公も民も横の繋がりがもっとあっていいと思いますが。
遊泳区域の看板の有無のみに拘らず、良好な海域を持ち、ましてやその海をウリにしている自治体は海難救助のシステムがもっと確立していてもいいのでは。
「自己責任」と言い放つのは簡単です。
自然は人間の予想など時としてあざ笑うかが如くの結末を与えます。厳しすぎますが、あの海に長時間の漂流は不可能です。まったくの「無力」を感じざるをえません。
私にできることはありません・・・牧之原市全体でこの不幸な出来事に翻弄されているご縁の方々に労わりの声と手を差し出してフォローできたらと思います。
画像①が歩いてみたい山。普段はとても穏やかな海です。
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