落居から首切坂の道はメジャーな街道だった

かつて相良落居から比木に抜ける途中の台地から西へ、佐倉、桜ケ池を経由して大坂(大東・大浜)、横須賀方面に向かう古い街道があったといいます。「大坂」は横須賀城方面と高天神城方面の街道「交差点」です。

 

 落居側から上がって落居トンネルを抜けてスグ、前方に橋が上方を交差しています。その橋を通過するためにはトンネルを出てから右側の道を入るのですが、その農道らしき細道がそれです。橋を渡ると左に回る道がありますのでそちらは無視して左右の茶畑を西方に突っ切る方を進みます。

かつて駕籠の行列も通ったと言われる街道と言われています。画像①②お馴染み「今年から耕作放棄しました」という茶畑も。

 

 夏場ですと一部、左右から雑草が覆う箇所がありますので、軽乗用車であってもサイドを笹の葉等でこすることになりますのでご注意を。

 

 此の箇所が一番に狭ばった所ですが、ある意味当時の面影が最も残っているのではないでしょうか。

位置関係でいえば私がいつもお世話になっている「地頭方の処理場」(保全センター)の煙突が150号バイパスを隔てて南東方向に見えます(場所はここ)。

 

 地図上に青い線で記しましたが「狭い農道」B~Cのみですのでそちらのみ徒歩にて散策されたらいかがでしょうか。もっとも私の如くどうでもイイような軽トラでしたら問題なく通過できます。

 

 この旧街道をBから少し行けば地元で古くから伝えられる「十三塚」と呼ばれる小さな墳墓らしき小山が茶畑の前に佇んでいます。画像③、草がぼうぼうで見落としそうなりますが、墓石が1つだけ立っていました。

かつて(昭和初期)はもっとたくさんの墓石が確認できたそうですが、今はコレだけとのこと。

 

 青い線のCを過ぎてぶつかる農道は最近になって舗装整備された道路になりますが、「街道」はおそらくその先を右に折れた山道になると思われます。

また、折れる手前、現在祠に1つだけ墓石が納まりますがかつては「二ツ塚」と呼ばれていたとか。画像④です。

 

 この台地の山道を徐々に下って行けば「名波」という谷あいの集落に行きつきます。

当山檀家さんにもその姓を名のる家がありますが、特に須々木地区に多い姓です。この地との関わりも考えられます。

 

 さて、この街道を進んで筬川(名波橋)を渡れば平坦地の田園風景、「佐倉」となり、スグ支流の橋、「宮前橋」を渡ってスグに右へ。画像⑤⑥.道は前方の「桜ケ池」のある台地へ向かいます。

画像⑦は桜ケ池方面の台地。青い矢印あたりだと思います。

その桜ケ池の途中に当ブログ「高天神城お散歩ツアー」で紹介している渥美源五郎の首切坂があります。

⑧画像は首切坂の手前から振り返った図ですが、赤白の目立つ鉄塔の真下を今来た街道が走っています。

 

 「首切坂」は渥美源五郎の小隊が相良城斥候偵察の帰り道、武田方の斥候と出くわして散々に蹴散らしたという語り草を残した場所と伝わります。

当初私は何故にこのような森の中(そのように見えます・・)なのだろうと疑問に思っていましたが、この道こそが古くから人々や物資が往来した街道だったのでした。