本山チェ~ック !  木仏点検

御内佛を新調するなどして阿弥陀さんの絵像や名号を新たに御本尊として迎える場合、仏具屋さんから取り寄せる安価なものか、少しばかり出来のイイ本山から取り寄せるものか選択肢がありますが、やはり推奨するのは本山に申請依頼した御軸ですね。

 

 どちらにしろ御内佛開扉式にて正信偈を唱えて「入仏」という儀式を行いますが、真正の「方便化身」か「方便化身」のさらにまた「方便」(仮のもの)かの違いで、「それもまた方便」と割り切って合掌礼拝の対象とする御当家の心の問題となりましょう。

 

しかし昨日もお伝えしたように、本山依頼の御軸に関しては必ず裏書があります。

これは本山が御本尊としての適性を承認した証で、その姿として相応しい姿、字体であるとのお墨付きでもあるのです。

要は工芸品なのか、美術品なのか正式な御本尊なのか本山に決定権があり、「やたらくたらと本尊にはできませんよ」とのメッセージでもあります。

 

 他宗派のその辺りの事情についてはまったく無理解ですので分りませんが、当流ではお寺の御本尊や脇の御軸、蓮如さんや親鸞さんの御軸までその裏書による承認があります。

掛軸だけでなく木仏の本尊の場合も勿論その承認のシステムがあります。それが「木仏点検」です。

 

 木像の阿弥陀如来を求める場合、寺院であろうが在家であろうが本山が指定、御用達の仏師の手による仏像に対しての「木仏点検の儀」という承認を受けなくてはなりません。聴くところによると「かなり厳しい」そうです。

 

 趣味で木彫りの「阿弥陀如来を彫りました」といっても御本尊としては承認してもらえないかも知れないということですね。

そして、このことは古い真宗の寺院であってもなかなか伝わってきていないのですが、木仏本尊には「木仏点検」があることは分かっていても、現在本堂に本尊として鎮座する阿弥陀さまがかつて「木仏点検」を受けたかどうかです。

 

 今更、本山から「承認を受けていない」などと指摘されることは絶対に無い(データが残っていない)ことなので、対象が最早「新規」のみではあるものの、この「点検」は古い時代より行われている(忘れられた)儀式ですので点検済みの阿弥陀さまには必ずその証書が発行されていました。

 

 本尊の本尊たる証明書であるのですが、掛軸の裏書と違って本尊には記さずに別の書面を用意して記しますので、保管が別々になって紛失を招いてしまいます。

よって御本尊の証明書が残っている寺は少ないものだと聞きますね。

 

 当山にて御本尊として名号や絵像②の軸が掛けられていた時代は天正二年(1574)年菊川平尾の本楽寺時代だったのでしょうか。相良大沢に来た頃には現在本堂に立つ阿弥陀さまが来ていたことと思います。

 

 ①「こちらの御本尊は?」と参拝者に聞かれて何の気無しに「家康の寄進によるものです」と言って相手は「へェそうですか」という会話でお終いになっているのですが「だからどうした」という部分もあってそれ以上の説明は殆どしていません。

どうせ坊さんにありがちな自慢話(ハッタリ)とでも思われていることは相手がそれ以上突っ込んで聞いてこないことで分かります。

 

 ③画像が当山御本尊の本山発行の木仏点検の証。

釋宣如(花押)寛永十八年辛巳とあります。

釋宣如は東本願寺十三代法主(1602~1658)。

教如さんの息子です。寛永十八年辛巳は1641年。

 

願主、釋祐傳は当山三代目。婿として大澤寺に入りました。

寄進、釋妙意は願主釋祐傳の母親。元亀三年の三方ケ原で没した成瀬藤蔵正義室。

釋祐傳は藤蔵正義の三男(四男?)です。

当時の当山過去帖には「本仏施主大沢新田寄付」と記されていますが、大沢の寺領に本堂本尊も新町寺領もすべて家康寄進と伝わっています。尾張藩家老、犬山成瀬家が引き立てられたのもすべて藤蔵の死による家康の温情でしょう。

 

 また新町の火災で朱印状が消失してしまい、波津の地の確保には苦労がいったということが文書に記されていましたが、今となっては大御所の朱印状だけに惜しいことだと思うばかりです。

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コメント: 2
  • #1

    どこぞの人 (木曜日, 30 6月 2016 14:51)

    昔は形として立派だったのか今やわかりませんが
    今や木仏点検をしている仏師自体が名の通ってるのか通ってないかわからないくらいの技術の伴ってない人が行うので
    点検を通ったからといっていい仏かどうかは疑わしいことこのうえありませんよ
    金積めばなんとかなりそうなんじゃない?

  • #2

    今井一光 (木曜日, 30 6月 2016 18:53)

    ありがとうございます。
    そもそも方便ですからどうでもイイって言ってしまうこともできますが
    まあやたらくたらに「本尊です」「道場の開設です」を承認するわけにもいかず
    本山権威にもかかわることで、スジだけは通しているのでしょう。
    しかし廃寺になったお寺の阿弥陀さんを回収していますので
    それらを幾らかの懇志金で廻しているという噂も聞いたことがありますが
    本当の所はわかりません。