やっと重い腰をあげる? 「○△ハーブ」・・・

胡散臭い教祖様の信仰する宗教的「憑依」を 薬物でもって何か奇異的状況を示現したりすることがあることは知られていました(勿論「反則」でしょう)。

 

 しかしこれほど「脱法ハーブ」が流布しているとは驚愕です。

ウソかホントかその手の「ハーブ屋」客は絶えず、相当ボロ儲けが出来るとのこと。テレビに出ていたそのスジの人がぶっちゃけていましたが業界では「あと10年は食える」と豪語していました。

 

 要は規制が「イタチごっこ」。規制とは行政から特定の「化学物質」について指定して「販売不可のお知らせ」をしてくるので、結局成分を微妙に変えてしまえば法の網は潜れるというものです。

 

 化学式を微妙に変化させてしまえば同等の効果「トランス」をもたらしてくれる合法的な薬物に変化できるのです。無限ですね。これまでの方法で規制しても本当に「イタチごっこ」です。

 

 お国のあの方は憲法を度外視した無茶振りを内閣で決めてしまうという剛腕振りを披露したのですが、そういう辣腕はこの悪の連鎖に振るうべきですね。

 

 素人ながら一言。

役にもたたない薬事法の規制ではなく、条例による「迷惑防止法」に倣って拡大解釈し、たとえば

「結果的に明らかに酩酊状態、前後不覚に陥り、器物損壊、傷害、交通事故等刑事事案を惹起した者、遡ってそれらの起因となった薬物を有償無償を問わず提供した者双方」に対する刑罰を規定すればいいのです。

 

 薬物中毒によるそれらの事案は症状も顕著で証拠が集めやすく、まさか薬局で買った風邪薬の副作用とは主張できないでしょうし、「人権の侵害」の畏れが無きにしもあらずとは雖も、増幅するこの手の犯罪に手をこまねいていることほどの無能、無努力はありません。

勢ぞろいしたお偉い様たち、いいアイディア頼みますよ。 

画像は我が家の怪しげなハーブコレクション。

彼らの店でもそのような名で売っていますね。

 「お香」です。「香道」といって我が国の歴史にも古くから登場する「香を聞く」趣事がありますね。

 

茶道と同様お香には「香の十徳」なる香の効用が伝わっているほどです(各自お調べを) 

 

 私は唐辛子とおがくずを混ぜたような葬祭場の抹香はちょっと「ありえない」というくらいの「生意気」者で、とは言いながらもベトナム産のシャムなのかマレーシアなのかタイなのかまったく判別は不可能なところが「痛い」のですが、とにかく「好き」なのです。

信長を筆頭にした戦国時代の大名小名も一応は手掛けていた少しばかり「高尚」な遊びの真似事です。

正倉院「蘭奢待」のお話はあまりにも有名ですね。 

 

 一時は自家用車の灰皿に灰を敷いて、芳香剤の代わりに本山から戴いた香を焚いていましたがそれが始まりです。

「沈香(じんこう)」独特の香りには癒されます。車の中がモクモクになりますが・・・ 

ただし家族の不評があり今はやっていません。 

 

 事故が起こって車両に閉じ込められた時、漏れた燃料に引火する火種になる可能性があることと、やはり交通検問のおまわりさんに画像の如くのパケ(業界用語 パッケージ)を発見され、

 

Y0Uは何を持っている?」と言われて「お香です」などと応えても相当ややこしいことになりそうですから。

 

 

 

 東京あたりの通夜に行って、道路上検問と職質に遭遇したとして、その「草」らしきパケと鞄の中の通夜用帰敬式に使う短刀など指摘されれば、一晩は帰れそうにありませんね(銃刀法違反)

 

 

 私の使用するそれは模造刀では無く、研ぎ師で神主の中村先生から頂戴した「真剣」なのでした。

 

また「坊さんの証拠を出せ」といわれてもねぇ。

ますます怪しまれそうです。

 

 

 

 また余談です。小田原時代、世田谷の国道246上であった殺人事件の容疑者の乗っていた車種と色がたまたま私の車と同じという理由で、東京の刑事さんが小田原の会社にまでやってきました。一応、中からは開けられない捜査車両にて事情聴取されました。聞けば私の家の前でも張り込みをしたとのこと。

観念させようとしてそのように言ったのかも知れませんが・・・。とにかくその時は昼休みが台無しになりました。

 

 「車あたり」のしらみつぶし捜査のようでしたが、警察官に一旦容疑を掛けられたらその疑いを解くのに相当の労力と時間がかかるのですよ。

 

こちら相良がいかにのんびりした場所か、そういう警察官との関わりが殆ど無くなりました。都会に子供を出したくないですね。

被害者としてだけでなくどういう誘惑が待っているかを考えると、加害者にも十分成り得ます。

 

 画像②③はお馴染みネコちゃんの大好きハーブ、「またたび」と酩酊状態の「梅王丸」。

「いろは姫」などははしたなくもヨダレまで垂らして床に摺り摺り。ストレス解消でしょうか。

ネコは「合法」でも「脱法」でもいいのです。

車の運転をしませんし。他の猫を傷つけたりもしません。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 11 7月 2014 08:49)

    法律などというものは、作れば作るほど自分の首を絞めるようなもの。
    抜け道はいくらでも出来ることになっているのです。
    ただ一言「公序良俗に反することはいけない」あとは周りを見ればいいことか悪いことか分かるはずです。
    でも 今の世の中 公序良俗がわからないんですよね。
    学校での暴力もしかり、加減が分からない。
    「お天道様が見ている」…なんて何にもならない言葉になってきています。どうなっていくのでしょうか。
    そうだ! いまこそ「宗教心」が必要だ。
    がんばれ宗教家。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 11 7月 2014 23:00)

    ありがとうございます。
    公序良俗=倫理・道徳ですね。
    それによって自己がある程度管理できれば法の網は不要ですね。
    そもそも真宗の坊さんが「悪人」へ「法の網」を掛けよというのは大いなる間違いですね。「ハッ」とさせられました。
    感情でモノを記してしまう軽薄さもまた良しと如来さんも笑っているでしょう。