ひょいっと「憑依」 薬物使用有りえない

昨日の高天神「斉藤」と丸子「斉藤」についての考察に関して「オレもそうだが、まったく興味のない人ばかりだろう」と「奥の墓道」よりご指摘を受けました。

 

 ありがたいことではありますがそもそもそんなことはお構いなしのブログですのでまったく意に介さない私があります。

ハナっからオールラウンドの指向をしていませんし、それが本来のブログってものでしょう。

というワケでいつも同様おかしな話をしていきます。

 

 本日は漢字のお勉強。滅多にお目にかかることはない「憑依」(ひょうい)について。

真宗的な考え方にはその手のものは一切有りえないのですが宗教界(宗教学 亜流?)の中では時々そのような話を真顔でしている方も居られます。

その辺りはブログでも何度か記させていただいておりますが、たとえば御前崎白羽地区の「くだ狐」や学生時代にやった「こっくりさん」等いわゆる「つきもの」のことです。

 

 しかし「こっくりさん」など本当はつきものでも何ともないいわゆるお遊びですね。今考えればバカバカしくて可笑しいコミュニケーションの一つでした。

 

 誰かの下宿・アパートに夜間集まった時など暇潰しに「開帳」されたものですが参加者が多いと抱腹絶倒です。

大抵題材はこんな感じ、

「〇〇の好きな子は誰ですか」といったくだらな過ぎる内容が大多数でした。

そんな時、まず間違いなく参加者の殆どが思い描いている人物を表す文字列が一つづつ現われるものでした。

いい加減なものです。だけど楽しいバカバカしさ。

 

 そして、まず大抵「もれなくついてくる」などと云われれば「オマケ」のことが頭に浮かんで、「こりゃあ しめた!」と歓喜する場面ですが、この「つきもの」(憑依―ひょうい)はあまりありがたがる人は概していないもの。

 

 昔話に出てくる狐や狸に化かされるなどロクなことは無いですからね。

科学的に説明すればすべて「人間の悪意(こっくりさんは悪戯心)か錯誤・錯覚」と断定。真宗的立場も勿論その線ですね。

 

 ところが最近はその憑依―つきもの。流行りの横文字にして「トランス」状況=「覚醒」を薬で人為的に「起こしてしまおう」という人が増えているようです。

 

 その「ついた」何かか多重人格的な精神状態をおこして(トランス)その現われた何かから「新発想」を得たいという「自利」の歪んだ発想でしょう。

 

 自分の能力の限界を感じた時にその手の薬の力を借りるというのがあの人たちの姿です。

1960年代から欧米ミュージシャンの中では「当然の如くのドラッグ乱用」がブームとしてありましたのでさして今になって驚くことではありませんが、悲惨な末路を歩んだ人は少なくありません。

もっとイイことを「真似」したらいいのですがね。

 

 先日もあの芸能人が検挙されていましたが、報道をチラっとみれば「嘘まみれ」でいやはや滑稽の域を超えていました。

ハリウッド映画風に罵れば、ああいう輩を「ヤク中」(薬物中毒の事)と呼ばれて、白い目で見られるもの。

勧善懲悪のストーリーではいつも「悪役」「最低の人間」であって、まともな人には相手にもされない下劣な行為にもかかわらず「芸能人」という職種の人は本当にアレがお好きなようです。

「カッコいい」とでも思っているのでしょうかねぇ。

お頭の方も疑ってしまいます。

 

 この件は一般の人の法律違反以上に重大な刑法犯であることを主張したいですね。その発信力、影響力は計り知れず、社会的責任の重大性を加味すればより悪質と考えるからです。

 

 ところがどうです?

彼のお仲間のコメントを聞いていると「再起を待ちたい」等、同情的なものがすこぶる多かった様な気がしてなりません。

 

 この国は芸能人、有名人には特に寛大な風を感じます。

テレビなどの露出度の高い人間こそ、責任重大であって「再起」(その世界に戻るという意味)のチャンスがあること自体おかしいことだと思います。

レッドカード、「一発退場」という緊迫感がまったくありません。まぁ政治屋さんたちも往往にして何かやらかしても「禊」(みそぎ)というウルトラCの言葉で再起しています。

勿論社会に戻るための更生の道は開いてあげなくてはなりませんが。

 

 たとえば一般の社会人、公務員、が飲酒運転で検挙されれば一発懲戒解雇という社会的制裁を受けて元の地位に戻れることなどは絶対にありません。

そして飲酒運転よりも一層タチの悪そうな違法薬物の使用、ズラっと並べられた証拠にもかかわらず罪を逃れるための保身による見苦しい虚偽の陳述。

 

 そのようなまさに悪質極まりない罪状にもかかわらず周りのお友達連中に「ショック!」(検挙されたことに?)「はやく元に戻って欲しい」というコメントが吐露されている風潮が「大甘だ」と指摘されても仕方無いところなのです。

ひょっとして「何の気無しに」(薬物の使用を)というあまりにも「気軽に嗜む」という世界がそこにあるのでしょうか。

 

 しっかりとした責任をとっていただきたいと思います。

社会も厳しい目で見て行かなくてはいけないことです。

そのことが後に続く者への指針となりましょう。

薬物に関して厳しい社会を作って行かなくてはなりません。

薬物に大甘の国は国民を退廃へ導きます。

 

 お国の方からすればある程度国民が「ラリッて」いてくれた方(為政者による祭り・泥酔推奨理論)が都合がいいことは確かでしょうが。