高草山中腹 方ノ上城の狼煙台 少し疑問

西方からの駿府への侵入を阻む高草山(標高約500m)の中ほど、山頂より南西方面にこの山と一体化した砦の山(石合山―いしゃばいやま)があります(場所はここ)。

東名高速日本坂サービスエリアのスグ北側の山ですね。

その山は平安期の古墳や経塚の出土地で、削平されたその地を利用して曲輪が作られていたようです。

方ノ上(かたのかみ)古墳群と呼ばれていますが、「狼煙台跡」とも呼ばれています。

城に付属する狼煙台という施設ですが、行ってみると城のメインとなる場所、本曲輪推定地がはっきりしません。

 

先日登り始めた高草山の農道から大きく南側に折れる道があり、自動車はこちらのスペースに乗り捨てます。

しっかりと案内板があります。

谷・尾根あって途中不安になりますが道らしいものも残って、また時折看板も立っていますので迷う事は無いでしょう。

 

谷を降りて途中、「幻の池」という看板に引き込まれますが、来た道を戻ってそのままストレートに進みます。

ちなみに「幻」とはいいながら水が溜まっていました。

おそらく高草山各所で水が出ていますので、この高草山からの水が石合山との谷間に溜まって出来たものでしょう。

 

尾根伝いに登り直す途中には土塁、堀切、曲輪等の城跡たる証拠の品は確認できました。

しかし、自然にそういう形になったかも知れない山の姿は結構ありますので看板の紹介が無ければ見落としてしまうかも知れません。

 

方ノ上城は丸子城と同様、今川氏親が今川惣領として駿河支配を確固とさせた頃、明応二年(1493)に築かれたと云われていますが、はっきりした事はわかりません。

 

車を置いた場所には城を紹介する看板が立っていましたが、それによると今川氏親は元あった城を改修したとあります。

それ以前の城は南北朝時代初期の延元年間(1336~40)に安倍城主、狩野介貞長に築かれたとあります。

狩野介貞長は南朝方で足利・今川に一掃、没落した豪族、旧来の御家人衆でした。

 

狼煙台に関しては地元のグループが毎年11月3日に実際に狼煙揚げをしているとのこと。

しかし、考えてみるとこの狼煙台は背後東側により背の高い高草山がありますので、「伝達」の相手は西側。

西方の大井川の作った広大な扇状地とそれを囲む舌状台地、志太榛原方面との伝達ポイントでしょう。

ただしこれは標高の高い、高草山山頂に設ければ駿河賎機山方面まで視認できると思いますので大いに疑問に思うところです。

 まあ、狼煙台的施設は各砦や飛び地の曲輪等にも設置されていたはずで、たまたまこちらの場所が現代に伝わっていただけでしょうね。要は中継地点。

画像⑩が狼煙台跡。