北国脇往還 木之本の黒田家発祥の地

先日、ETC早朝割引を使用するために朝3時に相良を出て近江を目指したことを記しました。

 北近江、浅井長政の居城の向かいにある、虎御前山をブラついて、早朝の山の美味い空気と鳥の囀りに気分高揚。

独りよがりの満足感からこれ見よがしに「奥の墓道」へ「秀吉の陣址」から画像を添付したメールを送りました。

 

その後、彼から電話で「次は何処?」といわれ「黒田家発祥の地」を目標にしていることを告げれば「姫路へ?」とすっとんきょな返答。

 

 実を言えば信憑性についてはともかく、黒田家近江出自説があります。

秀吉配下の武将に近江系が多いのは旧浅井系人脈の継承や長浜時代を通していることからわかります。

「黒田家」も近江が元といわれれば一瞬、納得しそうになりますが、どう考えても播磨のイメージが強すぎます。

よって「墓道」が姫路と言ったのも無理のないこと。

 

 今、近江で「官兵衛」の旗をあげているのが長浜、北国脇往還木之本宿です。

浄土宗の響流山正覚寺の目と鼻の先です(場所はこちら)。

 

元々この地が黒田家発祥説があったのですが、昭和40年代になって黒田公民館建設の際に「源宗清」と刻まれた墓石が出土したことから俄然当地黒田の名が挙がったという経緯がありました。

 

産経新聞九州・山口版によれば
『「黒田家譜」に「一名宗満、黒田氏之元祖也」。

「黒田家譜」の「源姓黒田氏系譜」や「高政記」などによると、黒田家は宇多天皇に始まり、姓は源。

近江の守護・佐々木の氏族で代々、近江に住んだ。

そして「(宇多天皇から14代の)宗清始めて、江州伊香郡黒田の里に住し黒田氏を称せしより以来、代々黒田を氏とす」その「黒田の元祖宗清より六代の孫」が高政という人で、官兵衛の曽祖父ということになっている。』

 

 

 

②田上山砦が見えます。⑤が墓石。⑥は公民館。