「満開の下」も桜を愛でる 小田原西海子

この季節、本格的春の報せとして圧倒的存在感を主張する桜。

昨年は長興山紹太寺のシダレを紹介しました。

今年は近江八幡の桜と思いきや、まったく的外れ、よって当地小堤山のもので我慢しています。

 もともと桜の満開に私が感慨を抱くことのほどでも無かったのは、小田原城下、南町に住んでいたせいかも知れません。

勿論若すぎたせいもありますね。

 

 どこかでも記しましたがこの季節の小田原は観光客でごった返し、夜間は夜桜の酔っ払いと翌朝のゴミ溜めと化した小田原城周辺にくさくさせられていたことも少なからず。

最近は齢を重ねてその良さも理解できるようになりました。

この時期ならではですが、「こんな場所に桜が」と感動したりすることもあります。

やはり誰も居ない山の中に佇む山桜が風情があってよろしいかと。

 

 私は中1までは小田原南町3丁目の西海子小路(さいかちこうじ)を南に入った場所に居ました。0~2.3歳の頃は安吾の居住地近くですからここからさらに旧早川橋方面に3~400m行ったところです(場所はここ)。

 

 私が気が付いた頃はまだ砂利道で舗装路ではなく左右に排水路が流れていました。現在の如く矮小路地まで隈なく舗装されている時代ではありませんでした。

 

 西海子小路の名は、そもそもこの通りには桜では無くサイカチの木が植えられていたためで、その地名は、小田原藩稲葉家の「永代日記」の記載にあるとのこと(小田原広報)。

幕末まで17軒ほどの武家屋敷が並んでいたともいいます。

「西海子(さいかち)の木は実の薬効を漢方薬として、またサポニン成分から石鹸として使用したり実用性はありましたが、何より武家は屋敷の鬼門に縁起を担いでこの木を植えたと言います。

「さいかち」=「再勝」の語呂合わせです。

 

 私は、一昨日記した祖母のすずさんがこの道を歩いて十字町(南町1丁目)方向から諸白小路の交差点を渡って歩いてきた時の様子が今も思い起こされます。

 

  今は「桜のトンネル」として地元ではその名所となっていますが、私にとってはそれ以上に生まれ育った場所として殊に懐かしい風景でもあります。

 

①~⑤は西海子小路(さいかちこうじ)。⑤は西海子小路から見た「諸白小路」と小田原城。

⑥は小田原城、お城の真下、旧遊園地方面。