残りものは持って帰るのが昔の人の良識

メール等の最後に「W」で文を締める事をよく見ます。

この「W」の記号は「笑い」のことですが、当人の自虐的な意味、仲のいい友人に対してであるならともかくも知らない他人さんにそれを使用するのは「嘲笑」「侮蔑」の意にて使用されるものと承知しております。

 特に不特定多数の投稿がなされる掲示板等で見かけますね。

また、比較的、大抵は若い方が好んで使用するもののようです。

ちなみに私はその手の記号文字の使用は苦手で一切使用しませんが・・・。

 

 さて、昨日の京都納骨バスツアーの帰りの車中、「通りすがり」様より以下のようなお叱りのメールをいただきました。

直接そちらの記事のページで返信すれば良かったのですが、貴重なご意見と問題の提起でございますので是非、本日のブログのテーマとして返信させていただきます。

 
『 通りすがり (水曜日, 26 32014 19:28) 

 

生モノ持ち帰れないのは普通でしょ
愚痴こぼす前に少しは勉強したら?
w  』

 

 

ブログを見ていただきましてありがとうございます。

通りすがり様、お名の通り「通りすがり」の方でいらっしゃるのならもう立ち寄られることもなく、いちいちの返信はもはやご無用と存じましたが念のために記させていただきます。

 さて、貴方様の「普通」はそのようなことと、あい承知いたしました。

ところが普通とは「常識」のことと仰っていらっしゃるかと存じますが、人の「常識」という(信じている)ものはいたって難しいものでなかなか一筋縄ではいかないところがあります。

人によって違う、育った環境によって違う、歳の差によって違う、場所によって違う等々色々です。

 

 私はどこかで記していますが、貧乏根性「勿体無い精神」 丸出しで、床に食べ物を落しても埃を払って、あるいは洗って食べたりは当たり前、食べ物の粗末は「申し訳ない」という気持ちになります。

子供の頃以来、母親は食べ物を残したり無駄にすると「目が潰れる」と言って私を罵りました。

 

 当地、相良という田舎では色々な場に招かれますが、持ち帰りのパッケージを所望した場合、まず間違いなくその品物と輪ゴム、袋のセットが用意されますね。

 上記画像は、昨日の昼食(近江の某料亭風宴会場)の膳で、「御馳走様でした」が済んだ直後の様子です。

 鮒の甘露煮は特に食わず嫌いの人が出て手つかずのものが多かったのですが他の卵焼き等の生ものから殆どの残りものが数分でキレイにパッケージされました。

 

 特に80代以上の方々の目覚ましい活躍が際立ちます。

持ち帰って「あくる朝に食させていただく」と異口同音に仰っていました。

「刺身となった魚に鮒に、卵に、申し訳ない」「調理してくれた方、配膳された方、主催した方に申し訳ない」「今は満腹だが後から今一度味あわせていただく」「留守番に残した〇〇にも味見させたい」そういう気持ちがそうさせるのです。

こちらのお店の方はパッケージを用意してくださり「どうぞどうぞ」と持ち帰りを勧めてくださいました。

 

 貴方様の仰る意、書式、雰囲気からして私よりも「お若い方」とお察し申し上げます。そしてもしかすると、そういう「生もの系」を取り扱う飲食関係に従事する方と拝察申しますが、そのものズバリあのお店の方でしたら失礼いたしました。

 

 拙ブログにて、店名まで出して「融通きかねぇなあ」は無かったですね。

平にお詫びいたします。

 

 しかしながら「生もの」は食中毒を惹起することからその手の業界での持ち帰りについて不安になられる事は承知させていただいておりますが、思量するにこの件は客の立場では無く、あくまでも食品を供する立場の方、企業側の「保身」あるいは、「手間」の問題であるかとも勘ぐってしまいます。

 

 客の責任に於いての希望に応えられないのであるならばそれこそ「サービスの神髄」に関わる事でありますし、客の所望を断るほどの重大な理由とやらが存在するのであるならば、その旨丁重に断り、勉強不足の小生が言うのも憚られますがそういった説明を付加でき納得させられる従業員への「教育」というものが必要であるかと存じます。

 

 付け加えさせていただければ客に「なぜ?」という不審感を抱かせることだけでもその店はその存在に疑問点が付けられることになることも有り得るのです。

 

 最近は店側の論理、「つまらん客は来るな」、「やってやってやる」的な店が増えつつあることも確かです。

私のいいたいところは、つまるところ客の立場というものをよりご理解いただきたいということです。

 客に対して「わきまえろ」という気持ちが出るのも「人間」であるので致し方無いでしょうが、そういった精神が宿り、増幅していけば従業員サイドのみに留まらず企業の存亡にも関わる事ともなりましょう。

私の知り得る店舗では、どちら様でもパッケージはしてくださっています。

 

 小生は貴方様のご指摘の通り勉強不足で無知なる愚痴坊主であり、行き当たりばったりの適当なブログを記している躰でありますので、再び貴方様のような方々の意(普通・常識・・・)に反する「誤った主張」も多々あるかと思います。

 

 ただしそれがなかなか修正できないのが哀れな身、うまい具合に一般的?で「普通で常識」な考えに行き当たりませんことを切にお詫び申し上げます。

昨日のブログの通り「非常識も可也」と面白がっているところもありますし。

 

 そして何より仏教の世界で「愚痴はイケないこと」という教えがあります。ただし私は愚痴を日々こぼし続けるほどのダメ坊主であるからこそ私が真宗の坊さんとしてやらせていただけているのですし、逆にその「外への訴え」が無くなれば「呆(ほう)けである」と、最近は殊に「愚痴こそ命」であると信じているほどです。

 

 「愚痴」は時として「気づき」であり「感動」でもあります。

その感動が俳句を作り和歌や偈となり歌となるのです。

 

 よって「勉強不足」に関しては大いに耳が痛く、反省すべき点が限りなくありますが、愚痴はこれからもドンドンこぼしていく所存です。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 

追伸 

尚、当方は住所氏名電話番号について記しております。

また、不特定多数の方が見られているブログであることは承知していますがお若い方が一方通行的に書きこむ「掲示板」的なものではございません。

 差し障りございませんでしたら、「通りすがり」とは仰らず、素性等ハッキリと記されて貴方様の良識、その由、豊富な知識をご教示くだされば幸いでございます。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 27 3月 2014 08:33)

    パチパチパチ。 いいねー。
    若いねー。
    愚息らしく、それなりに、ほどほどに喜怒哀楽もなくっちゃね。
    アドレナリンが出なくなったら仏様ですね。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 27 3月 2014 11:53)

    ありがとうございます。
    昨晩の遠足から帰っての記述で、ある意味イベントの達成感
    から相当テンションが高かったと思います。
    今回の遠足でわかりましたが、若くは無い自分を思い知らされました。
    何しろ何かにつけ忘れっぽく、反応も記憶力もダメダメに劣化している自分を皆さまの前で思う存分披露してしまったようです。
    苦笑いしながらも開き直る私がありますが今後ともお付き合のほどよろしくお願いいたします。