相良に平賀源内がいた!?

一昨日の強風から一転昨日は穏やかな午前中でした。

午後から冷たい風が出てきましたが・・・

地代(じだい)の山の上は須々木地区在住の増田家一統の墓地がある場所です(場所はここ)。

この日は富士山もハッキリと輪郭が出て思わず携帯のカメラで。

西から「地頭方」→「落居」→「地代」→「須々木」→「波津」の旧部落名ですが「地代」という名称も歴史を感じさせる地名です。画像①はその山から須々木地区越に相良海岸部と富士山。②は地代と須々木の境界線の地代川付近から駿河湾。

①の画像、「須々木」に居住していたと云われる人に平賀源内がいます。

 

 平賀源内といえばエレキテル。

静電気発生装置を復元したことで有名です。他にも色々な「名前」を称して科学者、芸術家、文人、経済学者、その他あの有名な「土用丑の日」などという鰻屋のキャッチコピーもこの人が考案した等の説もあるほど多方面に渡って活躍した人です。

 

 しかし杉田玄白が記した「非常の人」(常識からかけ離れた)の通り、各方面での活躍にもかかわらず不評も同時に買うことも多かったようです。

刃傷沙汰を起こして投獄され獄死したのが通説ですが、田沼意次の計らいにより匿われて遠州相良へやってきたというのです。

 

 新町辺りの旧家には未だ「平賀源内謂れのある〇〇」が如く、平然とその名前を発します。あたかもそちらの方が史実であるが如く。

 ここ相良の人で平賀源内が相良に居たということを否定する人はいないでしょう。平賀源内獄死にあらずです。

 

彼の墓であるといわれているものもあります。

当大澤寺にもほど近い浄心寺(場所はここ)さんです。

 

その辺りのお話は西尾忠久氏(故人)のサイト、「『鬼平犯科帳』Who's Who」に記されていますのでリンクを貼らせていただきました。

尚、そちらには当山のことも記されています。