「袈裟懸け」と死刑の阻止

時代劇や戦記物語等で語られる対戦で「袈裟懸け」で斬り降ろし一刀両断に!などという表現は耳に馴染んだ語り口ですね。

要は一方の肩から他方の脇の下へ斬り下げることで、坊さんの袈裟の掛け方や衣類、袋を肩からもう一方の脇にかける事から来たものです。

駅伝の走者のたすきもそのように掛けています。

 その斬り方は結構力量の差がある者か余程の不意打ちか絶妙のタイミングでなくては難しい様ですね。黙ってその致命的な切られ方をする者はいないでしょう。

 

 さて、以前のブログへいただいたコメントで「死刑執行」についての賛否を問われました。

当然に本山宗務総長声明を借用し、僧籍にある者として、「人が人の命」をやり取りする事の理不尽を思うことは当然であるようなことを記しました。

私は「大袈裟」に死刑反対などという大風呂敷を広げるということはしていませんが、そもそも坊主たる身、古くから土壇場(処刑場)に引きづり出された死刑囚を助けるために、唯一の「法外のウルトラC」を試みたという事案を聞いたことがあります。それもその試みが成功すればその死刑が免れたといいます。

これも一つの神慮の類であってそのくじ運の良さに「仏の意思」のようなものをこじつけたのでしょう。

 

 坊さんが纏う袈裟を竹柵越しに投げて、囚人の首に懸れば無罪、「此の者の命は僧に託す」というものです。

これがホントの土壇場の「逆転サヨナラ」。

 

画像は当流五条袈裟と簡略化した輪袈裟。五条袈裟は道中では懸けず、輪袈裟を使いますが首に掛けるもので「袈裟懸け」にはなりません。

 道中で輪袈裟を輪投げのようにグルグル回して投げれば案外遠くまで飛び、死刑囚を助けられる確率はアップするでしょう。

と言っても連行されている囚人の首にコレをうまく通すことは至難の業ですね。

 門徒の坊さんの輪袈裟の発達はまさか、死刑囚救済のために小さく投げやすくなったのでは無いでしょうねぇ。

 

やはり人間の、究極の達観は「ゆるし」であるとは最近ことに思うようになりました。

 

 

「親鸞ノート」を記した服部之総が江戸時代の死罪について「せいばい」(ドラマ「暴れん坊将軍」で連呼していました)で記しています。「袈裟ぎり」という語も出てきます。

こちらも「青空文庫」ですのでそのまま簡単に読むことができます。よろしかったらどうぞ。