寺侍に寺男

寺侍とは江戸時代に格上の寺院に仕えた武士のことです、当寺院にはそのような格はありませんし用心棒の話も伝わっておりませんが、お寺の雑務を行う人はいたようです。寺は敷地が広く、建物ほか維持管理は日常的に行われなくてはなりませんので、その仕事の範囲は幅広く、多様な事案に精通した人がいたものと推測されます。その他に住職の身の回りの世話をしていた女性もいたと聞きます。過去帳には「この人には大変世話になったので弔い、当家の墓に埋葬したので以後手厚くお勤めするように」との添書きがあったりします。

 さて、それら雑務を行う「寺男」はじめ、警備と権威をつかさどる「寺侍」は今の寺に居るわけもなく、よってすべてオールラウンドに取り仕切らなければならないのが私となります。出来ない仕事は外注に出しますが雑用程度なら「えい、やぁ」で着手させていただきます。

 さて「本日の寺男」は造園屋です。強風で境内枝葉散乱かと思いましたがおかげ様でまったく問題なし。

さすがに一人ではやりたくなかった宿題、相良城の城石と伝わる本堂に転がしてあった石と、以前、本通りの工事現場(相良城堀あと)から ゛出土゛して砕石所行きと言われていたもの(気の毒で私が引き取りました)合わせて16個を以前並べていた本堂正面左側に敷設しました。

ヘルプが1名いたため重い腰を何とか上げることができたのです。

穴を掘って縦に埋めるパズルの様な作業ですが、強烈に重いため、そう思うように据え付けできません。また高さ調整のため一旦嵌め込んだものをひき挙げるのは相当の難渋。

16個アップアップで1日終わりました。敷設が自分のセンスでなされた「石利用」の苦肉の策ですので、うまくいったなんぞとは思いませんが境内にゴロゴロ散乱していたものが一つに納まって、とりあえず片付いたという感じです。

 

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コメント: 12
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 05 4月 2012 08:41)

    ん 写真で見る限り、なかなかですね。
    明日朝 現物を拝見させていただきます。
    ご苦労様でした。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 05 4月 2012 14:01)

    ありがとうございます。
    現物は1日たってみると「要修正」箇所が目立ちます。
    しかし当分様子を見させてください。

  • #3

    今井龍弥 (火曜日, 01 10月 2013 22:58)

     画面に堂々とお名前が明記されており感動致しました。さて、寺侍の私見を述べさせていただきます。此処で「侍」というのは勤め人といった意味では無いかと考えます。華族制度があった頃の「執事、家令」のような私的な公務員(勤め人)では無いかと思いますがい如何でしょうか。今でも門跡寺院などに残る執事のような存在ではと考えます。風体は武士でも石高も無く、主君も居ないので寺に勤める侍風の格好をした人の事を指して寺侍と言ったのではないかと考えています。また、寺小姓は若年の寺侍で中世の稚児のような存在では無いかと考えています。御批判下さい。

  • #4

    今井一光 (水曜日, 02 10月 2013 00:33)

    ありがとうございます。
    寺侍について、仰る通りだと思います。
    「侍」というと武装した傭兵を考える場合があって
    興福寺や比叡山の僧兵などもイメージしますが、こちらで
    記させていただいた寺侍とは江戸時代にあって階層は不明ですが、檀家制度の元、公職的職種となった坊さんと役所的になった寺において、全般処務から管理を努める常勤の者が必要になったと思います。
    当然に威厳を持った職種となり、脇差の一つも差すことになっていつしかそういった人を「寺侍」と呼ぶようになったかと。

  • #5

    今井龍弥 (水曜日, 09 10月 2013 23:36)

    有難う御座います。相互網の中の回答は匿名でなされることが多く、信頼性が持てません。精力的な宗教活動を実践されており、実名を公表されて居られます御住職の御回答は信ずることが出来ます。その後勉強させていただきますと、寺侍は
    武士ではなく、「武士の風体をした非武士(侍)」とするのが良いのではないかと思います。江戸時代の狭義の武士とは「特定の主君に仕え、主君より俸給を与えられる侍」と捉え、侍とは狭義の武士を包含する広い概念では無いかと考えることにしました。幕藩体制確立期、主家の改易等で禄を失った侍が寺請け檀家制度の確立で急に事(寺)務が煩雑膨大になった本山、総本山寺院の事務方に職を求めた侍(浪人)が寺侍の起源ではないかと考えます。家屋敷を没収(収公)され、お寺に職を求め得なかった浪人が空いたお堂、本堂の片隅を借り受け、近傍の子供を集め読み書きを教えたのが寺子屋の起源ではないかなど、空想を逞しく致して居ります。御住職のお考えをお聞かせ下さい。

  • #6

    今井一光 (土曜日, 12 10月 2013 00:08)

    ありがとうございます。
    2013.10/12のブログに記させていただきました。

  • #7

    今井 龍弥 (月曜日, 02 12月 2013 22:13)

     義母が亡くなり、一連の葬儀に参加しました。
    御通夜には故人の敷布で袋を作り、故人の下着や靴下などの再利用し難い故人の遺品を詰めて、棺桶内の御遺体の褥とすることを葬儀のときの故人を送る者達の務めとしたく思います。
     折り紙で果物を折り、着色して華やかにして棺桶内の御遺体の食べ物としたく思います。
     実物の果物は御遺体の前で皆で美味しく食べ、神人共食をして故人を偲びたく思います。

  • #8

    今井一光 (月曜日, 02 12月 2013 23:14)

    ありがとうございます。
    そしてお悔み申し上げます。
    お寒い中、各種御手配、お忙しく駆け回られ、ご家族の中で一つ一つの思い出や悲しみを乗り越えて行かれている御姿を拝察いたします。
    ここに合掌いたします。南無阿弥陀仏。

  • #9

    今井 龍弥 (金曜日, 17 1月 2014 11:18)

    奪明即身成仏
     昨年は死刑が執行されました。サリン裁判が始まります。御住職は死刑に対してどのような御意見でしょうか。私は大賛成ですが、但し現行の絞首法による刑の執行には大反対です。奪明即身成仏法による死刑執行を提唱するものです。
     私が是までに仄聞した限り、「目の見えない人が殺人等の凶悪な犯行に及んだ」例を知りません。私は全く目の見えない人は基本的には善人であると確信しています。サリンの麻原死刑囚は視力障害は在りますが全盲者ではありません。
     死刑囚の肉体的生命を奪うのではなく、失明によって社会的生命を奪い、即身成仏し善人に生まれ変わって貰い、末永く無明長夜を刑務所内で過ごし罪を償って貰えば如何に凶悪な死刑囚でも絞首刑によって生物学的生命を奪わなくても良いと考えます。
     健常晴眼の死刑囚を失明させることは簡単です。ハムラビ法典による「眼には眼」では眼球の摘出が行われたのですが、解剖学を学び、眼科学を学びましたら眼神経にアルコールまたは石炭酸を注射するだけで簡単に失明させることが出来、眼球はそのまま存在します。したがって外見上の悲惨さは全く在りません。御住職のお考えをお聞かせ下さい。

  • #10

    今井一光 (金曜日, 17 1月 2014 21:00)

    ありがとうございます。
    仰られている意図がよく理解できませんのでピントがボケていましたらお許しください。

    死刑執行について。
    結論を申しますと僧籍にある者としては2008年6月20日更新本山宗務総長による宗派声明の通りそれに準じた考えです。
    →「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」です。

    しかし、煩悩に塗れた身である拙僧は他者に圧しつけた勝手な「私の」善悪についての判断を為し、「もし被害者の立場だったら・・・」などとこれも勝手に推測し、いたずらに「悪を廃して善を為す」と「悪の死」を望む気持ちも抱くこともあります。
    まして私は大学は法学部ですので、「罪刑法廷主義」は実際も精神もそうあるべきであると思量しております。よって法務大臣の判断につきそれらの判断は受け入れるべきものと思っています。

    ただし、自分にとって人の決めた刑罰(死刑にもなり得る)に抵触することもひょっとしてありうる我が身に「他者」の違法行為についての刑罰を判断しうる資格が存在しているのかはまったくわかりません。

    結論として人が人の罪と罰の軽重を判定しそれを元に命を奪うか奪わないかを判断することはそもそもできないことであるという姿勢です。先進国と呼ばれる社会の風潮は死刑廃止の方向で動いている中、それらから逆行する考えは野蛮な国民と烙印を押されかねないでしょう。
    国民のとるべき道筋は闘争や嫉妬や妬みや復讐ではなく「赦し、許し」こそが「安寧」であろうかとも最近は考えるようになりました。

  • #11

    今井龍弥 (日曜日, 20 4月 2014 11:12)

    有難う御座いました。ゆっくり考えさせて戴きます。さて、先月関釜フェリーで釜山経由慶州の仏国寺へ行って参りました。目標の釈迦塔は総硝子張の建屋の中で解体修復中でした。御本尊を拝観するため本堂(大雄殿)に入って吃驚仰天、釈迦塔から取り出した舎利容器から仏舎利そのものを取り出して、硝子箱の中で展覧していました。仏教徒の少ない韓国では周りの観光客が合掌している姿は見られませんでした。私は無宗教なのですが合掌してしまいました。奈良博物館や京都博物館で各種鎮壇具と共に仏舎利が展示されたことはありますが、それは舎利容器に収められた物でした。長年仏舎利はどんな物か実物を拝観致したく思っていましたので大満足、感動致しました。
     6泊7日で総費用三万五千円前後でした。事故があった後ですから船旅は今が一番安全な時かと思います。壇家信徒様を仏舎利拝観旅行にお連れされては如何ですか。

  • #12

    今井一光 (日曜日, 20 4月 2014 23:48)

    ありがとうございます。
    いつも興味深い情報と行動力には感服いたします。
    いつかは仏国寺さん等、中国の仏教起源にせまるお寺などに訪れてみたいものですね。
     
     気の小さい私は先般の水難事故を目の当たりにして船旅の恐ろしさを改めて感じさせられたところです。気の毒な事です。自分があの狭い空間に押しこめられて水没することを想像すれば、発狂せんほどの恐ろしさに襲われます。もう船には乗るまいと思ったところです。

    また、1週間にわたって寺をあけることはおそらく第一線を退いたあとのこととなりそうです。
    なにより、勉強不足の私など日本国内の歴史について追いついていない中、この段階で朝鮮半島の仏教史と墓石に向かって趣向を広げる事は無理があることでしょう。

    時間があれば大いに興味があるところですが。
    とにかく大好きな近江一国でさえまだまだ新しい発見があるくらいですので、日本国内の史跡、遺構を暇を見つけながら歩いていこうと思っています。

    それにしても3.5万円とは安価ですね。しかし今までの動向からして主婦層の参加が多い、私どもの遠足では無理な日程でしょう。

    仏国寺さん情報ありがとうございました。
    また、楽しい情報をお待ちしております。