立札に揮毫いただいた八字は最高の言葉 

先代住職の製作した大澤寺駐車場のアルミ製看板とその文言が気に入らないという理由から撤去して数年。

その間、「電話番号帳にも載っていない、駐車場もわからない」との声多く、御迷惑をお掛けしていました。

 寺の前にあるのだから、スグに判ってもらえるだろうと思っていれば、奥の醤油屋さんの駐車場に入れてしまった、駐車したものの不安がってそれでいいのかと聞いて来られるなどの方々がいらっしゃいました。

 

 先の改修工事で本堂の濡れ縁の腐食の激しい部分を数点更新しましたが、その時、程度の良さそうなものを大小2枚を処分せずに本堂裏に残してありました。

といっても雨曝しにしていましたのでこのままではいずれ朽ちるままになると思いこの際手を加えて表に出して皆さんの目に触れてもらうことにしたのです。

 その小さい板が報恩講直前に製作した門前の掲示板でした。

そちらには掲示物を貼り付けるだけですから何も記されていません。

 

 これらは1700年代後半に当地に大澤寺が再建された時からの材で「楠」です。

板は風化と虫食いで相当痛んでいましたが電気カンナで表面をならし、支柱とその形等の拵えは本職に依頼しました。

 

そして、その大きい方の板が駐車場用掲示板です。

そちらへ「大澤寺」号の墨書きを檀家さんで田沼塾講師の鈴木氏に揮毫いただきました。

書については「おまかせ」でしたが、内容についてはこちらで指定させていただきました。

 

 まぁ当山の駐車場に置く掲示板ですのでその意を記せばいいのですが・・・。

先代製作のものは「駐車場」という字と「当山無用の車」への拒絶の文言が記されていました。

 私は他者に通じるか通じないかはいずれにせよ、それらは日本人の「暗黙の了解」の部分を期待して「記さない」ことにしました。

これも「表になさない」(同時に積極的な相手への心配り―おもてなし―も相手には「表示」しない)文化を尊重しました。

 よって「山号と宗旨とお寺の名」を記せばそれで用は足りると。

当山の駐車場であることはそこに寺の名を記した看板が立っているだけで誰が見ても当山の駐車場であることはわかりますしまた、「無用」は日本全国津々浦々当然の概念(他家の敷地に駐車しない)であって、その空気が判らない人は(本当は)いないはず、と思いますのでこの言葉も削除しました。

 

 その代わりに、そうであると判っていても「減るものじゃねぇだろ」とつい置いてしまうのが人であることも判っていますので「では、どういう寺なのか」という、この寺の掲げる信仰のテーマをついでに記してもらうことにしました。

それが最後(画像①)の八文字です。

 気持ちとしてはそのテーマに沿った生き方をしている方、賛同迎合できる方についての訪問は大歓迎するがそれ以外の方はその限りでは無いといった、「住職にも何か云わせて」チックの「呪文」の様なものなのでしょうか。

 「関係ねぇ奴は呪ってやる」風の不気味さを―そんな呪文染みたことや狭量な態度は真宗風ではあり得ませんが、そう勝手に思ってくれれば、面白いかもと、これも暗黙と―醸し出せれば結構イケルと思いましたが、この字、案外読める方は少ないかも知れません。

この文言は何より呪文などと云ったら門徒の坊さんにブッ飛ばされそうな私たちにとって最上の言葉です。

 セールスマン対策でもありましたがそれでは用になっていませんね。立派すぎて(書も言葉も)何だかわからず普通の人には意味が伝わらないということになりそうです。

 

  上の部分の読みは少々キツイかも。古文書に詳しい方でしたら、簡単に読むことはできるでしょうが・・・。

それでも何とか読めそうな下の部分は「無量寿佛」(阿弥陀佛)です。阿弥陀さんの寺を主張しています。

これは一番下の「佛」から類推して読めたという人もいらっしゃるかもしれませんね。

 こちらでは「暗黙」を意図していても相手が読めなくては暗黙もへったくりも通じませんので根本的に無意味ですが、私はこの言葉と書体に大いに満足しています。

素晴らしい贈り物を頂いたと。

 人は「一人よがり」と呼ぶでしょうし、実質これからも知らない人の駐車放置の車は無くならないでしょうね。

まぁそもそもが御用のある方は「こちらにお停めください」の意が通じればOKなのです。

 

 「無量寿佛」の上の部分の四文字は、真宗ではお馴染み、「大無量寿経」の中から「一向専念無量寿佛」の「一向専念」です。

これを判読不能にしているのは「専」の字ですね。

現代人にとってあの「b」のような形で「田」を表すというところに少しばかり無理があります。

ということでお釈迦さんが記したというお墨付き(お経)の「大無量寿経」(大経)の殆ど最期の部分に記されている八文字でした(12/7ブログ)。

 私の住する寺の宗旨を厳かに、しかもとてもわかり易く記せばコレになると勝手に思い込んだ次第です。

 

駐車場設置が完了いたしましたら再度お知らせいたします。

②の画像は御寄進いただいた背もたれ付の椅子を整列させたところ。