「坊主と云う者は 大罪人なり」

本当云うとコレ、坊さんの基本的考え方なのですね。

蓮如さんが僧侶一同を前に語った言葉です。

この言葉を聞いて深慮ある坊さんは「坊さんなんてやってられない」という思いから寺を出るという事案もあったでしょう。

 本当はそういう方こそまともな方のでしょうね。

私の様な何となく坊さんとなって、また「職業」と同等の如くに仏飯を食み、日々漫然と送り、年をも越す。

寺に入ったばかりの頃は少しは若さもあってあっちこっちやりたいようにやらせていただきました。

ところが最近は体も重くなって関節の動きもぎくしゃくしがち。何事も億劫にさえ感じてしまいます。

特にこの季節、風の吹く日は辛いですね。

毎日ダラダラしていてこのまま「締切」(=臨終)を迎えるのではないかという焦燥感も含みます。

 

 築地塀の取り壊しと新設、難題だった本堂改修も駿河湾沖の地震で少々崩れたことに始まってトントン拍子に完成させていただき、一つの目標だった小和田先生を本堂にお呼びするというイベント(報恩講)もうまい具合に終了できました。

 まったく不自由なく、恥を顧みることもなく好き勝手にやりたい放題にさせていただいている中で、いよいよこの蓮如さんの言葉が引っかかってくるのでした。

 

 「大罪人」の理由はといえば・・・「偸僧祇物、盜現前僧物、不淨説法」。出典は「観無量寿経」です。

その言葉につづく「無有慚愧」とは「慚愧あることなし」ですね。「慚愧」とは「慚愧に堪えない」などとよく耳にしますが最近ではその言葉が出てくれば「どうせ嘘っぱちだろう」などと真摯に聞こえなくなってしまったのも齢のせいでしょうか。

現首相がかつてその意を知ってのことか知らないでか当時の農水大臣が自殺したことに関して「慚愧に堪えない」と言ったことが思い出されますね。意は各自ググってくださいな。

「慚愧」について真宗では「無慚」と「無愧」について語られ続けられています(詳しくは大谷大学)。

 

蓮如さんの御文は案外、私たち凡夫(或いは愚者)にとって決して耳に優しいものばかりではありません。

坊さんも当たり障りのない優しい、それも短い御文ばかり拝読しているのではお恥ずかしいことですね。

 

 さて、表題は御文さんでは無く「蓮如上人御一代記聞書」の中にあります。

「坊主衆等に対せられ、仰せられ候う 『坊主と云う者は、大罪人なり』と、仰せられ候う その時、みなみな、迷惑申され候う」・・・またこんな文言も・・・「坊主は人をさへ勧化せられ候ふに、わが身を勧化せられぬはあさましきことなりと」。この罪は「人殺し」より重く、無間地獄にも堕ちるほどの重たいものだそうです。

  

 「突き放してハッとさせて最後に拾う」ではありませんが「さて、仰せられ候う。『罪がふかければこそ、阿弥陀如来は御たすけあれ』と、仰せられ候うと云々」と仰って少しは安堵させてくれています。しかしこれに安堵こそ禁物であって何より我々坊さんに、この身たるものの自覚を促しているのです。

 

 どちらにせよ己の無慙・無愧について感ずることがなければ往生は覚束なきこと。これは坊主に限ったことではありませんが。

 

 画像①は観無量寿経「偸僧祇物、盜現前僧物、不淨説法」と「無有慚愧」。

「偸僧祇物 盜現前僧物」とは「僧の属するところの(寺院等)供物等、目の前にある仏前に供えられた物を恰も自分の物とする(盗む)ことで「不淨説法」は「仏の教えにはずれた邪法を説き、名利のために説法をすること」ですね。

真宗では拙僧の如くの坊主には「コレだけは言っとくからな!」との如く頭に叩き込まれている考え方です。

それを恥じて皆、寺から逃げ出したくなるのだと思います。

 そういう意味では、減りつつあるとはいうものの自殺者数世界トップレベルの我が国にあって、もしかすると自死する人が「至極まとも」で、我武者羅に生きる方が「おかしい」世の中になっているかも知れません。

「我が物顔の高慢ちきな振舞」=「無慙・無愧」は地獄行きと教わっています。

 

 

 ②は大無量寿経の一説「一向専念無量寿仏」。

③は本日風強く親鸞さんの裏は銀杏の葉っぱで真っ黄色。

境内で数少ない紅葉の図。

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (土曜日, 07 12月 2013 08:46)

    坊さんも人間です。
    いいんじゃないの、気負わなくても。
    聖人になるのは無理で結構。
    そこそこ人生を楽しみましょう。
    間違い、行き違い、思い違いはいくらもあります。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 07 12月 2013 17:25)

    ありがとうございます。
    気負うどころかだらけきってるような気がする
    今日この頃です。
    そしてもっともっと時間が足りなくて
    「楽しみたい」欲求で一杯です。