御開祖肖像画形式の基本 安城御影

 

松平(徳川)・織田・今川の東海地区主要三大名の他、松平家と関わりが深い家臣団、そして室町初期の守護足利系各家と地頭、御家人衆、国人・土豪が混戦の時代に複雑に絡み合って雌雄を競ったのが三河です。

 

 その三河で育ち、発展した思想こそ真宗であり、後世その結びつきの深さと勇壮さで名を轟かせた「三河武士」と並んで東西分流以後「三河門徒」という語彙が残ることになりました。

勿論家康のお膝元だったということもありこの地区の東本願寺系の御門徒の代名詞となっていったようです。

当地には「親鸞聖人三御影」と呼ばれる代表的肖像画のひとつである「安城御影」の伝承がのこります。

「安城御影」は聖人の肖像画としては古く、現在、真宗系各寺院に掛かる御開祖(親鸞聖人)像のベースとなっている形です。

生前に描かれたいわゆる「ライブ」のものですのでおそらく、聖人を目の前にした画家が精密に描いたものだということです。

その時親鸞聖人八十三歳で御軸御影肖像画の上部に「浄土論」「仏説無量寿経」(願生偈)と下部「正信偈」は聖人自筆と言われています。

一般に出回っている御影はこちらの御影よりは若い聖人の顔を(推測して)描いています。また、首に巻いている帽子(もうす)は頭に被るフードで聖人の肖像画では必ず描かれています。墨衣に五条袈裟も同様ですね。右向きのスタイルも踏襲しています。

これもまた、特筆すべきことですが、聖人の座するその前には実際に火が入っていることがわかる火桶(暖房具―火鉢―厳冬期の推測)に猫皮の草履、桑の鹿杖が並び狸皮の敷物の上に座しています。これらのグッズは門弟や門徒たちの配慮と言われますが、師を想う門下の者たちの心の温かさまで感じ取ることができます。

1255年に専海という人が遠州の画家朝円を呼んで描かせたと言われていますが本編は西本願寺、蓮如さん時代にそれを元に二編が作られて西と東にそれぞれ所蔵されています。

東本願寺の御影の模写が安城歴史博物館で見ることができました。

①三河一向一揆の華々しい図画(明治)②安城御影模写(現代)

③拡大図(本編)④当山御影