「熱中症なったかぁ?」 適当にやりましょう

今年の梅雨も最終段階なのでしょうか、太平洋岸の週末から1週間の予報はお日様マークが並んでいました。

ニュース番組によれば何やら「筆舌に尽し難い」風の雰囲気で猛暑について予測していますね。

「憎らしいクソ坊主」とお思いになる方も、「稀代の変人」(奥の墓道談)と苦々しい顔でもって仰る方々も居られことは覚悟しておりますが、私はそういう夏こそ「生きている」という存在感に溢れ、至福の時間、刹那の歓びという感覚に浸ることのできる「無二の季節」であるのです。

要は私が骨を埋めたくもそれは叶わない沖縄の地のイメージに近い気候と重なるということでしょうか。

 

先日は熱中症で亡くなったと言われる将軍家慶について記しましたが、暑気にイライラしながら物事に集中することは良くないのですよ。よって暑いのは降雨と同様「自然の事」ですので「我が身の事」に関して、それぞれの皆様はしっかり支度ご配慮は勿論、我慢せずにのんびり呆気らかんとして過ごす事をおすすめします。               

暑い夏の境内でのご挨拶は「お暑うございます」は当然ですね。     

 ところが状況とそちらの人々との関わりが違いますが最近の沖縄でのある所の挨拶で「熱中症、なったかぁ?」というのを耳にしました。

この挨拶に関して私が想う所を記します。

これは沖縄人特有のお茶目で自虐的な言い回しではあるのですが沖縄のテレビ等メディアで連発する全国区の言葉「熱中症」という語に対する不思議から半ば呆れて言い放っている風にも感じられました。

沖縄の直射日光は、どんなに暑い夏と本土の人が大騒ぎしてもその強さには格段の差がありますし、毎晩の夜間の熱帯夜に寝苦しさや寝不足などを感じている柔な身では生活など決して続けて行くことなどできないのです。

私が沖縄に居た当時、沖縄で熱中症という言葉は聞いたことがありませんでした。中には農業関係者で無理がたたってそういった事例はあったようですがその語は殆ど内地の人の流行語ですね。

 ビーチで観光客が突発的に倒れたり最悪亡くなるといった事象は多々ありました。

大抵は自己管理不足の曖昧さから起こった事故です。

強行ツアーでの寝不足に解放感からお酒を飲んで海に出た人などがほとんど、そしてムキになって泳いで極度に疲労して倒れる人です。

 沖縄という精神的に癒される場所での熱暑と、都会喧騒にアスファルトという極悪の地上とを比較するのは酷ですが、「ウチナンチュ」はきっと沖縄の事を何もわかっていない「ナイチャー」の「熱中症騒ぎ」を半ば呆れた感覚でもってその言葉を挨拶に使っていたのでしょうか。

 

「食べて飲んで寝て休憩して」と普通の生活をしていれば熱中症にならないと思いますが・・・ポイントはムキにならずイザとなったら「適当」を決め込むことですね。

 

画像①は7/1の海開き、相良各寺院による海難供養祭が終わって神式の海開き祭の会場設営をする担当者。相良海水浴場、遂に3件に減ってしまった海の家(真中)からの図。

②が相良漁港からの富士。③は地代の須々木区墓地から見た相良海岸と富士。④が地代の先落居地区から御前崎方面。