新金谷の首塚前はSL停車場

日本左衛門首塚のある宅円庵(画像③)の真っ隣は新金谷の駅(場所はここ)と側線、車両操車場になります。

SLでお馴染みの大井川鐵道の発着基地でもあります。

転車台とSLのアップは静岡県のHPへ。

 

  社名の鉄道の「テツ」に「鐵」を使用しているのも拘りがあって頑なにそのことを踏襲していますね。

新字の「鉄」は「金を失う」「道」ではトンデモ無いという理由があったようです。

 

その通りローカル線の維持は大変な苦難があって、当地の駿遠線もそうですが、どちらにおいても廃線に追い込まれているというのが現状でしょう。

そういう所からもこの超ド田舎(失礼!)、大井川沿いに長野県境を思わせる辺地まで走る鉄道が今も尚頑張っていることに敬意を表します。

 

地域住民の通勤通学の足にこの路線は絶対不可欠ながら、限られた乗客数、ギリギリの状況下で運営されていることは想像に難くありません。

それも大井川という大河と大きな山の間を縫うようにして走るこの路線は度々自然災害で被害を受けています。その修繕、メンテナンスにかかる費用も平地を走る路線とは格段に違うのです。

 

その代りこの路線の車上からの景色の眺めは最高でしょう。

晴れた日に牽引するSLの汽笛を聞いて、のんびりゆったりと車窓を眺めながら温泉を目当てに揺られて行けばこれも一つの「幸せ」ですね。

 失礼ながら小生は生憎、その車両からの景色に関しては想像の世界です。

自動車では何度も平行する道路を走っていますが・・・。

未だかつてそのSLには乗ったことがないのです。

 

 さて、私がこの機関車の走る姿と郷愁に駆られてしまうあの汽笛を聞くと必ず思い出すことがあります。 

 かつて横浜在住の時、あるご家族と知り合いになりました。

そちらの4~5歳息子さん(通称「おっち」)は重篤な病と闘っていましたが日頃から何よりもこのSLに乗ることが夢であると両親や友達に語っていました。

 そこで両親は医師に相談し「おっち」をこのSLツアーに連れていきましたが、その時の家族の見た景色の色々や、体調不良ながらも目を輝かせてはしゃぐ息子のこと、旅の目的を達成し楽しく語っていたその時の和やかなその場の雰囲気が私には忘れることはできません。

私も「準地元」ということもあって大いにその語らいに参加していました。

 

その旅行から帰ってから数か月後に「おっち」は亡くなったとの風の便りを耳にしましたが、そのようなこともあってあの汽笛を聞いた時、私は酷く寂しく悲しい気分になるのです。