関東は熊谷と宇都宮 下野の宇都宮家 蓮生寺

宇都宮㤗藤は、主君新田義貞の首を、さらし場より奪って東国は上野までの逃走劇を演じ、その途半ばで小田原酒匂川西岸の地で亡くなりました(昨日のブログ)。

 三河住の㤗藤の本家は、下野の宇都宮家、宇都宮公綱(きんつな)からの流れです。やはり板東武者の名門ですが藤原流で、どちらかというと荒々しさよりも教養者を臭わす家系ですね。

 公綱は宇都宮家の九代当主ですが当家の五代目当主が宇都宮頼綱。

頼綱は歌人としても著名ですが、歴とした鎌倉御家人。

源頼朝に従って同じ坂東武者の熊谷直実らと平家追討に参加しています。いちはやく世の無常を覚った熊谷に諭されて法然上人門下として出家しています。

親鸞聖人もその名綽空(しゃっくう)で署名している「七箇条の御起請文」にも連署された法然上人の弟子、善慧房証空(西山義)の弟子となりました。

 

 頼綱は出家の名を「実信房蓮生」としていますが熊谷直実の出家の名のり「法力房蓮生」と「蓮生」が同じですね。

 

「七箇条の御起請文」は比叡山延暦寺の専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)の訴状に対して、法然上人以下門弟がこれからの宗儀を正することを誓い、連署して、比叡山に送ったものですが、結局は法然とその門下に対して今でいう粛清弾圧に発展しました。これらは比叡山の主張を殆ど受け入れた内容となっていたことでしょう。

 

「七箇条の御起請文」

① 天台・真言の教説を破し諸仏菩薩をそしらぬこと、
② 無智の身で有智の人と諍論(じょうろん)せぬこと
③ 別解
・別行の人に対し本業を棄置し嫌わぬこと

④ 念仏門には戒行がなく造悪を恐れないなどと主張せぬこと
⑤ ことごとに私義をとなえないこと
⑥ 痴鈍(ちどん)の身をもって道俗を教化(きょうけ)しないこと
⑦ 仏法にあらざる邪法を説いて正法とせぬこと

 

画像は藤枝蓮華寺池公園から見た蓮生寺と蓮生寺のイブキ。

藤枝市指定の天然記念物となっています。

画像が暗くて見にくいですが、当大澤寺のイブキと比してかなり小さ目なものです。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    大信寺住職、中村孝之 (金曜日, 19 2月 2016 10:49)

    宇都宮頼綱は京の小倉山に在時、定家に頼んで和歌の選定を依頼、98種の和歌が整い
    小倉百人一首の元となる。証空の弟子となるも、鎌倉歌檀など定着させている。
    蓮生は二人いるも、浄土宗学者は頼綱の事余り重要視しておられないのが現状、残念な事である。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 19 2月 2016 22:12)

    ありがとうございます。
    御宗派の事情について承知しておりませんが、
    きっとご住職は浄土の世界の本流に生き、労力を尽くされた頼綱への思いが
    強いのでしょうね。
    それも武将としてではなく、時代に翻弄されながらも歌人として
    自身の世界を展開した頼綱さんに。
    そういう方が隅に置かれることへの歯がゆさというものを感じました。
    またご指導ください。