坂東武士の鑑   畠山重忠

馬を担いで坂を下りる重忠
馬を担いで坂を下りる重忠

坂東(関東)武者の熊谷直実・平山季重に付け加えて「坂東武士の鑑」とまで言われた埼玉県深谷市畠山出身の畠山重忠を挙げなくてはなりません。

 

重忠は木曽義仲追討の後、源義経らと後白河法皇に拝謁して名のりをあげたほどの人物です。 

度重なる平家追討戦の先陣を努めた重忠は無骨で真面目、正直一本で通った人ですが結局は妻の父親である執権北条時政に嵌められて滅ぼされています。

優れた器量、誠実で思いやりのある人格者として後世の物語では抜群の評価をされる人物ですので後になって時政は「嵌めたのは俺では無い」と弁明しているほどです。

 

それほどの人物であるがゆえに施政者からは疎ましく思われたのでしょう。

そういうことから考えれば熊谷のように人間界の澱みからさっさと仏門に入ってしまうことも一つの選択肢としてOKだったと思います。

また、ある意味、現世に生きるみなさま方も一度は仏門に入った気持ちで仏と向き合えれば得るものがあると思います。しかし私に至っては寺にいるにもかかわらずその方まったくのさっぱりで煩悩満杯の修練未達振りをいよいよ発揮している真っ只中ではあります。

 

まぁ私なりの「本願ぼこり」の開き直りを記させていただければ

「己のバカ振りを知って念仏すれば何とかなる」と一途に阿弥陀さまの袖にぶら下がるようにして手を合わせることが肝要と思っている今日このごろです。

 

昨日の「母衣」で命を守るはずの母衣を大事にしまって命を落とすなどという「本末転倒」を記しましたが『源平盛衰記』では鵯越の逆落としで大力の重忠は「馬を損ねてはならず」と馬を背負って坂を駆け下ったという話が伝わっています。ここまでくると「幾らなんでも いやはや感」が噴出してきそうですね。

 

義経のところでも記しましたが「鵯越なんて無かった」という説もあるくらいですのでこれだと「作り話の中の作り話」になってしまいそうです。

人間というものがちょっとした価値観やこだわりによって、大切にする何かを見出して、それを守るために危険を冒す(リスクをとる)ことは示唆的で面白いといえば面白いですね。

まずそういうことは傍から見れば滑稽ではあるのでしょうが。