静岡という名の発祥  賎機山

「賤機山~しずはたやま」は安倍川が削ったこの辺りでいう舌状台地。駿府城の北に控え安倍川と対になって壮大な天然の堀と城壁の如くの地形になっています。

元は南東麓の臨済寺、今川館と連携した山城、賎機山城があった場所。

 国道1号バイパスを利用する方にはこの山を貫く「賎機山トンネル」で馴染みが深いでしょう。南北に細長く走る特異な形のその丘の標高は170m程度です。しかし登ってみれば静岡市内は一望でき、所々狭く急な道もありますが市内の「お手軽なハイキングコース」という感じです。

急坂のアップダウンでの難所っぽい場所は最頂部の城址堀切付近が若干足場が悪い程度。

登攀は南側の浅間神社(場所はここ)の階段を上がり、国指定の史跡「賎機山古墳」の方向を目指します。

 

 「静岡」なる名称は実は新しいもので、明治より前はここは「府中」「駿府」でした。当初はこの地の代名詞「賤機山」の「丘陵」の意から「賤ヶ丘(しずがおか)」が候補に挙がっていたそうです。しかし「賤」は律令時代から我が国に残る差別思想(賤民思想)や「賤しい」と読めることから憚られて誰が言い出したか「静」の文字をあてて「静の丘」→「静岡」に落ち着いたと。

 

城址は臨済寺(画像②富士山も見えます)の真上より少しばかり北にいったところにあります。石標③

一番最後の画像が安倍川西岸、安倍城、増善寺の山並み。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 17 4月 2013 08:37)

    高校時代の応援歌を思い出しました。
    「賎機山河風薫る♪・・・」
    しばらく歌っていませんね。
    我が静商もここの所低迷していて
    甲子園は、はるか遠くに行ってしまいました。
    死ぬまでにもう一度行きたいと
    高校の友人たちと飲むたびに話します。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 17 4月 2013 15:23)

    ありがとうございます。
    その歌詞をうかがって、今一度静商には
    甲子園に行ってもらいたいと思いました。
    この歴史的名称を全国区の放送で聞きたいものです。
    サッカーが今一つですのでこれも昔は強かった「野球」で
    静岡を盛りあげていただきたいですね。