「塔が立つ」「茶柱が立つ」「薹が立つ」

「塔が立つ」といえばまず「塔頭」を想いますので仏教加護の働きや仏舎利、五重塔などの建立をイメージします。

どちらかといえばイイ言葉の様に聞こえます。

しかし証券会社に勤めていた叔父に聞いたことがありますが「その塔が立つ」は相場の世界でのスラングの様な言葉で、ある銘柄等の日々の動きをグラフ化したチャートという形から「塔婆」の形状であることからそのように言ってその後の下落傾向を示唆するということで、「悪い意味」であるそうです。

 

「塔婆」は私ども真宗門徒には使用しませんが板切れで作った「簡易五輪塔」と解します。人が亡くなってからその人の塔婆を立てますので要は「死」=「finish」を連想させますのでいわゆる通常の生活とは異次元のこととなります。勿論「よろしい」意味では無いですね。 

 

 ちなみに地頭方の処理場に花ガラを持って行った時に、「塔婆はどうしている?」と聞かれたことがあります。

まぁ塔婆の「処理場行き」の寺は無いとは思いますが今時近隣問題からその手のものを焼却(お焚きあげ)できなくなりつつありますので、そもそも「塔婆」というものが無い当山は余計な手間が無くて有り難い限りです。

もっともそれらの製作と管理を収益源としていれば考え方は違ってくるでしょう。

 

 子供の頃は茶柱を「縁起がイイ」と話のネタにしたものですが、この年になるとそんなものは毎日お茶を飲む身としても何の珍しさもありませんね。

「柱」とは神道では亡骸等のイメージがありますがここでの「柱」はお茶の茎のこと。

だいたい茎が多いお茶はあまり家庭用には使うお国柄(静岡)ではありませんし最近の急須からはあまり葉茎が漏れ出してきませんね。

やはり茎茶は廉価品でうまみが茶葉とちがいます。

 

 さて「薹が立つ」などという言葉はベテランの女性を蔑む差別用語として一般的には使用されませんが昨日150号線沿いで農家の方がその言葉を発していました。

「勿体無いね、薹が立っちゃって」・・・

 

先日150号線の無人ダイコン販売所について記しましたが

菜の花を白い花にした様なダイコンの花、驚くほどキレイです(画像)。

ダイコンを収穫せずに放置すると真っ白な花が咲くのですね。

花が咲く前の茎の部分が伸びることを「薹が立つ」と言うのです。

「薹が立つ」前に収穫して食卓にあげるべきであったことから「勿体無い」という言葉になったのです。

農家ではごく普通に使用している言葉ですね。

 

 「腹が立つ」要因になりかねませんので思慮深いみなさんは女性を評する言葉として使用するものではありません。