「奥の墓道」主宰(アングラ)の横浜の知人

高校時代からの横浜在住の友人から、正月高校サッカーで早々に静岡代表が敗退したことにより、もはや「サッカー王国静岡」は死んだと「似非サッカー協会の広報」を降りて、本年より私同様、墓場巡りの会「奥の墓道」を主宰するとの報せを受けました。

 

 彼のフィールドは鎌倉中心で(勿論趣向は戦国時代ですが)、ここのところ毎週鎌倉古道を唯一の会員、流派不明の日本舞踊家元の家系の出、通称「リジー氏」と歩き回っています。

もう殆ど「鎌倉は庭」状態で、柔硬両建ての(グルメ人気店から歴史に踏み込んだものまで)案内ができるそうです。

「奥の墓道」では今のところ、画像アップは「墓場放浪記」にてということで当面彼らの画像を当ブログにて紹介させていただきます。また、会員も募集中のようですよ。

 鎌倉は私もお隣の横浜金沢区に住んでいたことから少々は出入りしていましたので当ブログでも何度か登場しています。

首都圏にあって散策しやすいこともあり、なにしろ平日でさえもやたらと観光客が集まる所。

土日なんぞは殺人的で絶対に忌避すべき所となっています。

よって鎌倉行脚は平日に尽きますね。その辺のところは昨年も記しているところです。

 

 また昨日同様続けざまに憎まれ口を叩けば「鎌倉は墓場に等しい という持論がありますので、あれだけ大挙して集まる観光客を見ながら皆さんも我等とご同類の「墓場放浪、あははっ」などとニヤついているところです(ある意味人間の行きつく所は墓場ですので)

 

 まじめな話、昔から「小坪トンネル」等の話は尽きませんが、アホらしい「心霊スポット」とかいうツアーもあったりして違う意味(肝試し風)でこの辺りをウロついている輩もあるそうです。

 

 二人は先日逗子市教育委員会の催した「名越切通しやぐら群」の現地説明会に参加したとのこと。

 衣張山ハイキングコースは城郭都市鎌倉の南東方向から三浦方面に抜ける、旧鎌倉七道と呼ばれる入路の一つです。

七道のうちで最も古道の面影を残す「細道」には鎌倉期無銘の五輪塔等墓石群が鎮座する「やぐら」が他の古道と同様に見られます。この風景こそ小さな古都鎌倉を囲う墓地群、鎌倉の象徴なのです。

私なら柵を踏み越えてやぐらを間近で見ながら五輪塔超アップを狙う所ですが、彼らはマナーをわきまえています。