11/28は親鸞聖人の日 「悪人正機」を想う

東本願寺、報恩講を締めくくる、親鸞聖人の御命日の28日、

メディアでは御影堂での坂東曲(ばんどうぶし)について報道

されていました。

御参拝の方々、御苦労さまでした。

  

 当山の報恩講は既に終了していますのでこの時期ともなると殆ど「よいお年を!」状態で、大きな仕事といえば来年度の回忌表を制作することだけですね。

当家、私の場合は年賀状を出すという習慣はもはや廃し、失礼とは知りながら先方から到着したものに対しては遅ればせながらもご挨拶はさせていただいているという状態です。

よって年内は御法事のみの予定だけですね。

例年、この時期体調を崩され、あるいは病状急変されて亡くなる方が多く、どうしてもこの師走の土日には法事が集中しています。

よってこの時期、軽重にかかわらずどなた様もくれぐれもご油断召される事無きよう願います。

 

 さて、報恩講シーズンの終わり、たまには坊さんらしく宗祖の紹介をさせてください。

宗祖親鸞聖人の思想を端的に纏められ当初、門外不出と言われた「歎異抄」、やはり真宗のエッセンスともいわれる

悪人正機」について当サイト左側ナビゲーションに追記しました。本文のみです。各各の味わいがあると思いますので解釈はおまかせします。

私は記憶するに約40年以上の間この一文を聞かされて生かされています。この中には「他力の本願」についても同時に語っていて、まさに真宗この文に尽きるという面があります。

 

 これこそ私ごときのクソが付くほどどうにもならない坊さんが、さも知ったかぶった真顔で、厚かましくも仏法をのうのうと語ることのできるその根拠というか弁明というか、今となっては「心の支え」となっているような宗門絶対の一文です。

読めば読むほど味があり、有り難く深く感謝の気持ちが湧き出でます。

この文を己の怠惰や過失についての弁明に使うことは昔から「本願ぼこり」と言って切に戒めるべきことと教わったものでした。

 

 しかしこの「悪人正機」について年端の行かない者と根っから「善」に生きた人、または「善」そのものの人にはなかなか理解できないことでしょう。

昔から冒頭の「悪人だからこそ救われる」への誤解が生む弊害ゆえの「禁書」だったわけですね。

例で言えば前者が「我が子供」であり後者が「学校の先生(父)」と思います。勿論我が身を棚の上に置いているわけではありませんよ。その故の結論、現役のダメ坊主です。

 

画像は10年程前にハマっていたお遊び、崖登り(ボルダリング) の図。

人工の崖を素手で登るというものですが、当時は子供たち

を連れて休日に通ったものです。 

アメリカでは「財政の崖」についてオバマさんと共和党で折り合いが付いていないようで相変わらず揉めていますが

人生の「崖や谷」(困難、無理難題)はつき物で一つ一つクリアして進んで行かなければならないご縁として受け入れていくことをこんな形で教えたつもりでした

 

おかげさまで「バカは高いところが好き」という言葉に違わずそれらの技術が生きて境内の高木の剪定に役立っています。