芭蕉祭 朝日に浮上 瑞巌寺

巷では伊達政宗の「隠し砦」としても噂され、風光明媚な松島、威風も名高い瑞巌寺は宿泊したホテルと目と鼻の先(昨日のブログ)。

まだ薄暗い中、早々に参道に足を踏み入れました。

暗くていつものピンボケ画像失礼します。

 

 震災時も門前寺標のある道路あたりは(もっとも眼前は松島の湾が迫っていますが)、約1m潮に浸ったといいますので当然境内の参道にも海水が入りました。

よって名物杉並木は塩害で立ち枯れ、約300本が伐採されたそうです。伽藍・道場は 比較的被害は少なく震災時は避難所として人々を受け入れたとのこと。

 

 まだ伐採作業が行われている最中の様、参道には迂回路が設けられていました。

早朝で門中には入ることはできませんでしたがどちらにしろ

只今堂宇改装工事の期間で拝観にも制限があったようでした。

 

瑞巌寺という名称は伊達政宗が手を入れてからの名称で

平安時代に天台の寺として建立された堂が元といいます。

 

 鎌倉期に北条時頼の保護を受けて禅寺に改められました。

その影響か、杉並木の迂回路である北側の崖を中心に、鎌倉に多く見られる「やぐら」形式の洞窟風墓所が見られました。

通路脇に建つ仏たちは比較的新しい時代のものでしょうが洞窟内部や崖に掘られた五輪塔、仏塔はおそらく平安から鎌倉期のものであるかと思いました(ロクに調べる時間も明るさも無かったため適当な推測で書いています)。 

 

 やはり掘削孔だけで仏像等が無い箇所が相当数窺うことができましたがこれは勿論あの薩長藩閥政府の行った廃仏毀釈の影響でしょう。

どこに行ってもこれら姿を見て怒りを新たにします。

 

芭蕉祭は11月第2日曜日。私どもが訪れた2日前でした。